だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。

~丹那トンネル慰霊碑~東海道線の難所で「闇を裂く道」は苦闘16年の難工事

関東在住(埼玉県)の僕にとって東海道本線の電車旅でやっぱり分岐点は熱海駅、行きはこれから旅に出る高揚感、帰りは馴染みの場所にようやくたどり着いた安堵感を与えてくれる駅です。

帰り道に熱海の手前で結構長いトンネルがあるな…と気づいたのは1年ほど前、色々と調べてみると16年に及ぶ難工事の末に東海道を繋いだ「丹那トンネル」である事を知り興味を持ち自分なりに色々と調べてみました。

丹那トンネル

東海道本線(熱海~函南)

総延長7,804m・1934年(昭和9年)開通
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函南駅ホームより撮影

左側は新丹那トンネル 東海道新幹線(熱海~三島)

総延長7,959m・1964年(昭和39年)開通

それまでの東海道本線のルートは御殿場経由で、この旧東海道本線区間は富士山周辺で急な勾配が続く難所、列車の長編成が出来ない事や、補助機関車が必要などの支障が生じて輸送上のボトルネックとなっておりました。

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短絡ルートは海岸沿いに熱海を経由して三島・沼津方面につなぐことでした。しかし問題があります「熱海〜函南」間には丹那盆地の下を通す必要があり、相当長いトンネル建設が必要だったのです。

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1918年に建設が開始、熱海口を鉄道省が三島口(函南)を鹿島組が請け負います。

工事開始当初の時は手掘りで(掘削した)ズリを運び出すには馬や牛が使われていたそうです。

工事前から難工事が予想されておりましたが、予想を遥かに上回り建設史上未曽有の難工事になってしまいました。

湧水の量は箱根の芦ノ湖の貯水量の3倍と言われ、本坑工事を一旦中止して水抜坑を昼夜兼行で掘削、20m弱の断層突破に4年8ヶ月かかった箇所もありました。
これによってトンネル上の丹那盆地は地下水が出なくなり、田は枯れてワサビ沢は消失してしまい周辺の農家は酪農に経営を転換、国はこの被害に対して当時としては相当額となる117万円を支払っております。

1920年には熱海口で崩落事故が発生、42名が巻き込まれました。1923年には三島口で崩落事故が発生、16名全員が死亡しました。1930年の北伊豆地震では断層のズレが生じ、これによって3人が死亡しました。この工事で67人の方が亡くなられております。
当初予定よりも9年遅れ、当初予算の4倍近い工費をかけて1933年に開通しました。

丹那トンネル貫通す――苦闘16年――

 

前置きが長くなってしまいましたが、本日の夏休み慰霊碑に訪問しました。慰霊碑は熱海側と函南側の両方にあるのですが、まずは函南慰霊碑に向かいます。

 

函南側慰霊碑

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駅から近いのですが少々分かり辛いルートです
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駅前の道を左(熱海側)に
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すぐに線路脇の仮設道路っぽい通路を渡ります、一般人が通行して良いのかどうか躊躇してしまいます。
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慰霊碑参拝の方はここからお入り下さいとの案内
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工場脇を歩いて気分は中川製紐さんの従業員、横では新幹線が爆走しております。
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階段を登ると
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慰霊碑があります、石碑には「丹那隧道工事殉職者慰霊碑」と刻まれております、合掌しました。
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当時の日本の大動脈を結ぶ国家的事業とはいえ、尊き殉職者に対してはご冥福をお祈りします。

 

小説「闇を裂く道」

小説家「吉村昭」が静岡新聞に1986年に連載した小説、僕は未読でしたが、皆さんのレビューを見て熱い心になってしまいました。

読む者を圧倒する記録文学の名作。第一次世界大戦中に始まった(旧)丹那トンネルの掘削工事を題材にした作品だが、膨大な史料の収集・分析に基づいた精緻かつ客観的な記述、自然に対する畏敬の念、その自然に対して果敢に立ち向かった工事関係者への尊敬の念が読む者を惹き付ける。

 

熱海側慰霊碑(丹那神社)


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JR伊東線「来宮駅」より徒歩10分、僕は分かりやすい熱海梅園経由のルートで向かいました、やや登り坂です。
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熱海梅園前の通りを2分程歩くと案内板が見えます。
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水力発電所跡があります
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明治28年(1892年)に日本で8番目の作られた発電所、当時は熱海電気灯会社として熱海の旅館と民家に電気を供給していました。

熱海水力発電所 - 廃墟検索地図

そしてここが慰霊碑、真下は丹那トンネル入口、ここで行き交う列車を見守っているのかと思うと一層感慨深い気持ちになります、合掌してご冥福を祈ります。
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丹那トンネルの殉職碑
この碑は丹那トンネル開通にさいして鉄道省より建てられました。この工事の際、67名の尊い犠牲者が出ました。碑には尊い犠牲者の姓名が刻まれています。この工事は足かけ16年の歳月を要した世界的な難工事でした。完成まで大事故は6回を数え、死者67名、重傷者610名という多大な犠牲をはらって昭和9年に開通しました。

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殉職碑の右隣には供養碑
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トンネル入口、近くでの撮影はここが限界。f:id:earth720105:20190812061731j:image

新丹那トンネルはもっと間近で見る事が出来ますが、物々しい雰囲気であまり長居してはいけない気分に襲われます。
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爆走する新幹線
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慰霊碑後ろには丹那神社小じんまりとした神社
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丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られましたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っています。

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救命石
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大正10年4月1日東口大崩壊の数分前、トロッコを使用してズリを運び出す作業中、大石が漏斗(じょうご)に引っ掛かり、これは大変だと運搬に向かうはずの人も含め総掛かりで石の取り除き作業を行いました。
その直後、大崩壊が発生したのです。この作業にあたっていた人たち17名は、崩壊現場の奥に取り残され、結局8日間頑張った末に奇跡的に救助されました。
もし大石が漏斗に引っ掛からず作業が順調に進んでいたら、坑外に向かっていた人は大崩壊の直撃を受け、埋没していたはずです。この石のお陰で尊い命が救われたということから「救命石」と名付けられ大切に保存されています。

日本の大動脈の重要地点に似合わずひっそりとした場所です、但しそれ故に静かに行き交う列車を見守っている感があり、現在の利便さ安全さは昔の人々の尊い犠牲の上に成り立っているのだとつくづく感じます。

現在工事中のリニア中央新幹線の「南アルプストンネル」トンネルが完成して開通が実現すれば東西の新たな大動脈になります。しかし人口減少や経済が下向きな現在の時代背景、工事の難易度や残土処分の問題、リニアの電磁波の影響、そして何より自然環境を変えてしまう事、掘削技術は上がっても穴を掘る事には変わりありません、正直僕はリニア新幹線建設には疑問を持っている意見なのですが、建設には安全性やその後の環境の配慮は慎重に対応して欲しいものです。

リニア開通後でもここは変わらずに人や物を運び続けるでしょう、昔からの重要地点でどんな事があっても通さなくてはならない場所は未来にも引き継がれると確信しております。

慰霊碑には下を行き交う在来線・新幹線はもとより工事中のリニア新幹線各トンネルも見守ってほしいものです。