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都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。

江戸東京博物館の後編は風船爆弾おじさんテンプルちゃん

職場の日雇いアルバイトの皆さんを思い出しながら江戸東京博物館を見学した記事の後編でございます。

 

【前編】 

時代は移り場所も江戸エリアから東京エリアへ、明治期の民権派の政論新聞「朝野新聞」社屋、公衆電話も含め当時の銀座4丁目交差点をそのまま持って来た感じ。
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朝野新聞社(ちょうやしんぶんしゃ)
1872年(明治5)の 「東京日日新聞」を皮切りに、次々と新聞が創刊され、 東京の近代ジャーナリズムが開幕した。「朝野新聞」は1874年(明治7)に創刊され、社長の成島柳北、主筆の末広鉄腸らが新政府を辛練に批評し人気を博した。
東京では1887年(明治20)までに150紙にのぼる新聞が発行されたが、それらが竣工したばかりの銀座煉瓦街に集まり、銀座はジャーナリズムの中心地となっていった。とりわけ銀座4丁目の交差点には「朝野新聞」の他にも「曙新聞」や「東京横浜毎日新聞」といった代表的な政論新聞が社屋を構え、自由民権運動の高揚にともなって、互いに論陣を張った。

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銀座4丁目 | 中央区 今昔物語 | 地域密着型新聞らいふ

そして明治期を代表する高層ビル浅草凌雲閣(りょううんかく)鉛筆形のビルでとても僕好みのデザイン、煉瓦造りで上層部2階が木造なのも個性的、もっともこの造りが関東大震災で倒壊を招いた一因なのでしょうが。
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浅草十二階の名で親しまれた凌雲閣は、英国人の技師ウィリアム・K・バルトンの設計によるもので、1890年(明治23)に落成した。浅草のシンボルとして土産絵にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人々でにぎわった。
高さは220尺(約67m)とも197尺(約60m)ともいわれ、10階までは八角形の総煉瓦造、その上は木造だった。内部には世界各国の品物を売る店や休憩所があり、11,12階には眺望のための望遠鏡が備えられていた。 また8階までは日本で初となるエレベーターが設置されたが、のちに危険性が高いとして運転が中止された。開業時の縦覧料は、大人8銭、軍人・子どもは半額であった。復元にあたっては当時の写真や錦絵をもとにした。

そしてこちらも興味深い凌雲閣双六、上階に上がるごとにステータスが上がっていくデザインに感じるのは僕だけでしょうか?
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何だか上階につれて値段の張る肉レストランビル秋葉原万世ビル双六とか作ってみたいものです。

そして浅草6区の映画館(活動写真館)の電気館
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明治36年、東京浅草で電気仕掛けの器具類を並べX光線の実験などをしていた「電友館」が改称し、活動写真常設館「浅草電気館」が誕生しました。日本に入ってきた活動写真を上映するにあたり「国家のため電気知識の普及を意図し、電気の名をとどめるように」との条件があり、その名が「電気館」となりました。浅草電気館の隆盛により、全国に「電気館」という名の劇場が次々と誕生していた明治44年、窪寺喜之助が熊本で初めての活動写真常設館「電気館」を現在のシャワー通りに創設。その好況に刺激され新市街周辺は、世界館・朝日館・松竹館・相撲館などが立ち並び、市民の娯楽の中心となっていきます。
大正3年に現在地に2代目電気館が移転、開館。定員900人のまさしく活動写真ファンに応えた近代建築において、松竹キネマ・帝国キネマ・ユニバーサル・パラマウント・フォックスなどの作品を上映し、映画ファンの熱狂は増していきました。 当時は洋画・邦画とも無声映画であり、弁士が説明にあたり、観客席前の和洋合奏団が演奏をするもので、大正中期には、尾上松之助やチャップリンなど、名作として残り得たものが現れます。この頃から活動写真を「映画」と呼ぶようになりました。
時代は移り昭和3年、1Fに飲食店等のテナント、2〜4Fが映画館、屋上娯楽施設、エレベーター設置など当時としては画期的な3代目電気館が落成、以降一帯は映画館街として近代化を遂げます。戦中は地下が避難場所となるなど、戦前〜戦後を通して活躍した建物も再開発のため平成7年に現在のビルへ改築。

浅草6区電気館周辺の模型、他にもオペラ館・三友館・千代田館ほか次々に映画館が誕生しました、当時は映画館がこんなにひしめき合っていたのですね。
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そして大正時代の洗練されたデザインまずは森永ミルクキャラメル箱、小売店にお菓子を納める際の化粧箱らしいのですが、何とも魅了されるデザインで何より魂がこもっております。巷に居がちな「アムステルダムにインスパイアされた街づくり」とかぬかすインチキクリエイターあたりに見せてあげたくなるデザイン。
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洗粉(石鹸)のポスター「ツバメ」の文字がツバメの姿をかたどったデザインになっております、絞ったジュースをスムージーとか言ってるエセデザイナー辺りにはたどり着けないセンスであります。
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そして関東大震災後災害に強いメディアとしてラジオが急増に普及します。
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当時の家の間取り、自宅に通じるものがあり見てると妙に落ち着くのは僕だけでしょうか?
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休憩ベンチの床にまたもや双六、ホント昔の人達は双六好きですね。
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時代は昭和に移り楽しそうなビールのポスターなのですが流れ的にそろそろ来る筈あのダークな展示が。
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隣にありました戦争中(´・ω・`)一気に展示品が錆びた鉄とかになってしまうのですよね。。
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そんな中で興味深い展示だったのが風船爆弾、天井が高く広いスペースなので展示が可能なのかと感心していたのですが縮小模型でした。。
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風船爆弾(復元模型)
風船爆弾は、日本軍がアメリカ本土の攻撃のために開発したもので、和紙をこんにゃくで貼りあわせて作った直径10mの気球に、爆弾や焼夷弾を吊り下げて飛ばした兵器である。 陸軍によって秘密理に開発されたこの兵器は、 軍の施設のほかに、日本劇場や東京宝塚劇場、 国技館といった大きな空間を持つ施設で製造された。 製造にあたっては、 学徒動労動員によって集められた女学校の生徒たちが多数従事した。完成した風船爆弾は、 太平洋沿岸の千葉県の一宮や茨城県の大津、 福島港の勿来にあった各打ち上げ基地より、 1944年(昭和19)11月から翌年4月にかけて9,000あまりが打ち上げられた。そのうち300個弱がアメリカ大陸に到達し、オレゴン洲では6人が犠牲になったという。
この模型は、実物を保管しているアメリカワシントンの国立航空宇宙博物館が作成した報告書などを元に、気球部を1/5ゴンドラ部を1/2に縮小して製作した。

こちらは30年ほど前に風船でアメリカに向かって飛び立ち行方不明になった風船おじさん
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風船おじさん

 

そしてやっぱり真打ちはアニメ「風船少女テンプルちゃん」

お遊びで気球に乗った時に風に飛ばされ、両親と離れ離れになったテンプルちゃんですが、タムタム坊やをはじめとする仲間達と音楽隊を結成し両親の元に帰る旅をするストーリー。旅の目的はテンプルちゃんを両親の元に帰す事なのですが、それはイコール旅の音楽隊の解散(テンプルちゃんとサヨナラ)になります、終盤は悩むタムタム坊やなのですが、ラストはハッピーエンドの大団円。

風船爆弾も風船おじさんもこのハッピーエンドを見習って欲しいものです。

 思えばOP主題歌の♪陽気に歌いましょ♪の部分を♪陽気に屁をこいて♪と替え歌で歌っていた子供の頃。。

スイマセン…またまた話が横道に逸れてしまいました(x_x)

 

終戦後の東京(模型)
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闇市など貧しい時期を経て高度成長期に突入します、ここら辺りから僕も記憶のあるモノが増えてきます、ここなんか僕が子供の頃に住んでた団地みたいで、ついつい懐かしくリビングに入りたくなってしまいます。
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洗濯機って昔はこんな形だったのですね…
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最後のテーマは変化を続ける東京、その時々で流行したアイテムを展示しております。
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僕が子供の頃かすかに覚えているパンダブーム時のキャラクターグッズ、お隣はインベーダーゲームの筐体。
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ゲームウォッチとファミコン
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ラジカセがこんなに大きいなんてありえない(+o+)
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やっぱりコレが一番ハァハァします…(´д`;)
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江戸東京博物館
住所:東京都墨田区横網1-4-1
電話:03-3626-9974
H.P.:https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/sp/
アクセス:JR両国駅から徒歩3分・都営地下鉄大江戸線両国駅徒歩1分
営業期間 :9:30~17:30
休館日:月曜日(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌日)年末年始
料金 :大人600円 ・大学生・専門学校生480円・高校生・中学生(都外)・65歳以上:300円・中学生(都内在学または在住)小学生及び未就学児童:無料