だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。

両国駅前の歴史を楽しく観覧できる江戸東京博物館は見所がたくさん

職場で当日のメンバーを記した(日雇い)バイトメンバー表を、大相撲番付表みたいに常連から順に、右上から文字の大きさも変えて作りたいと言ってる輩(日雇い)がおります。
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そんなにまでして自分(と名前)をデッカく周りに見せたいのか全くもって理解できません。更には右上の横綱スペースに自分の名が入るように社員の皆さんを買収しそうな奴も約1名いて、動物園のサル山と何ら変わらない僕の通う日雇い現場のアルバイト連中。

現在は表向き身分制度は無くなっても、やっぱり皆身分というか格付けするのは好きなのですね、日雇い業界までそんな波が押し寄せている事をひしひしと感じながら訪れた先は大相撲のメッカ両国国技館隣の江戸東京博物館

JR総武線両国駅・都営地下鉄大江戸線両国駅どちからも駅前で目立つ建物なのですぐに分かります。
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3階が屋外状態の高床式建物、お隣国技館の土俵と屋根を思わせる独創的なデザイン。

施設紹介 - 江戸東京博物館
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入場料は600円  こちらで入場券を購入
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館内は傘の持込不可なのでここに預けます
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6階までの長いエスカレーター
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(3階高床部分の)高さがあるせいかとても長いf:id:earth720105:20200711091629j:image

5階を通過して6階で入場券を見せて入場します当日中有効で出入自由。
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まずは中央にドーンある橋を渡って向こう側に、昔の日本橋を模したデザインで雰囲気バツグン。
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館内には興味をそそるクリエイティブな展示物がたくさんありましたが、のっけから魅せてくれます。
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江戸エリア

館内は撮影OKそして場所によってはフラッシュ撮影も可能なのですが、僕はフラッシュなしの撮影ばかり(^^;)
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寬永の大名屋敷
江戸城本丸大手門の前に建てられた越前福井藩主。松平伊予守忠昌 ( 1597~1645) の上屋敷である。広大な敷地に桃山風の豪壮な建物が建っていたが、 明暦の大火により焼失し、以後このような華麗な大名屋敷は姿を消した。

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こちらは日本橋周辺、色々な身分の人達がいるのかと思うと、ついつい職場の日雇いの皆さん(僕も)を思い出してしまいます、この頃すでに大相撲の番付表はあったのでしょうか?調べてみたら1757年(宝暦7年)に縦一枚形式の番付が初めて発行されたとの事。
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お隣の模型は江戸城の本丸、こちらは明暦の大火(1657年)で焼失して以来再建されていない事を踏まえると、日本橋周辺の模型は番付発行前の風景であった事が窺えます。

明暦の大火 - Wikipedia
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寛永期に一応の完成をみた江戸の町は、 さらに発展したが、1657年 (明暦3)に発生した明暦の大火によって大半が灰塵に帰した。 この火災が起きたあと、江戸の様相は一変した。 災害復興にあたって、 幕府は市街地の防災化と大規模な都市の改造を行う。
諸大名の屋敷や寺社を江戸の周辺部へ移転させ、火除地や広小路などを設置し道幅を拡張するなど、延焼を防ぐ空開地を各所に設けた。江戸の改造は、 従来の軍事優先の都市から行政機能を重視するもので、 あわせて人口の増加にも対応しようとした。とくに両国橋が架橋され本所、 深川も市域として開発されたため、 江戸周辺部の都市化が急速にすすめられた。
その結果、 これまでおよそ2里(約7.8キロメートル)四方といわれていた市域が4里四方に拡大され、町奉行が支配する町数は1,600町を越えることとなった。

江戸城松の廊下の障壁画下絵の拡大、クリエイティブですね鳥の姿が何ともカワイイ。f:id:earth720105:20200711131450j:image
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一方こちらは庶民の長屋、この頃は何から何まで共同生活、団体行動の苦手な僕は3日でギブアップです。。
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何も部屋で洗濯しなくたってイイじゃん…って思ってる(多分)子供に感情移入してしまいます。
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新板娘庭訓出世双六
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女性の出世をテーマにした双六。さまざまな階層·職業の女性が登場するが、上りに近い最上段には「おつぼね」「お中老」など、大奥の最上位の役職が配されている。大奥や武家への奉公が幸福な結婚を招き、子宝に恵まれた「楽隠居」生活につながる、という当時の町人の娘の幸福観を描いている。

僕も日雇い双六を作って職場に置いとこうかな?どのマスもどん詰まりでゴール(上がり)が無い双六(ノД`)

 

当世雑語麻疹合戦記
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麻疹が流行して商売が暇になってしまった商人たちが、麻疹神を退治しようと戦っている図である。左側の病魔の軍車勢は、様々な病気を養人化しているが、その中には麻疹大将(麻疹)のほか、疫病太郎(コレラ)も描かれており、手にした織には 「古呂利(ころり)」の文字が見える。

これは職場でもやってみたい、横綱バイト君には「コロナ大将」の称号を与えて合戦に臨みたいものです。

 

当時の遊びと当時のご飯
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そしてこれが当時のお寿司屋さん(屋台)
当時のお寿司は現在より一貫が大きく、赤酢を使っているのでシャリが赤っぽいらしいです。
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お蕎麦屋さん(屋台)
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当時駿河町にあった三井越後屋の模型
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代金は売り掛け(ツケ払い)という当時の商法をくつがえす「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価販売)などで繁盛した呉服店であの三井財閥の前身。
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そういえば以前
~当倶楽部は会員制倶楽部です。三井グループの管理職以上の役職者および役員OBの方が会員です。また、会員からの紹介でもご利用になれます。~
の痺れる名文と共にタキシードでドヤ顔したかつての同級生の投稿をSNSで見かけました、彼も番付表の右上に自分の名前を連ねたいのでしょう、ちなみにテーブルの上にあるマシマシラーメンは僕がコラージュしました<(_ _)>
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そして江戸と言えば花火、当時の両国橋の賑わいを模したジオラマとモニターが何とも江戸っぽい、ラストシーンは花火の打ち上げで締めますが上手く撮れませんでした。。
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5階(下階)の江戸エリアのハイライトはやっぱり芝居小屋・中村座の模型
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江戸時代の代表的な歌舞伎の芝居小屋である。中村座の正面部分を、原寸大の間口1間(約20m)、奥行3間(約5.5m)で復元した。ここでは、庶民も大名も、日常を忘れて歌舞伎の世界に心を遊ばせた。

個人的なクリエイティブ大賞はこの番付表「諸国御祭礼番附」
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日本全国の祭礼を知名度や規模の順に並べ番付にしたもの。 山王祭礼は京都の祇園祭礼と並んで東の大関となっている。

格付けの数が少なめの番付表です、お祭りに色々と順位もつけ辛いですしね…これが僕の通う職場だったら社員を買収してでも横綱スペースに(以下略💧)

そして東京エリアに向かう途中のスペースにある特別展「発掘された日本列島2020」
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古代の展示物メインで「江戸の粋に比べれば…」と期待薄だったのですがオモシロ埴輪がたくさん。
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僕の中では埴輪大賞はこれ
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やる気の無さそうな表情と計算された焼き具合の紋様、これぞクリエイティブ(・∀・)ノ

東京エリア

時代は移り場所も江戸エリアから東京エリアへ、明治期の民権派の政論新聞「朝野新聞」社屋、公衆電話も含め当時の銀座4丁目交差点をそのまま持って来た感じ。
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朝野新聞社(ちょうやしんぶんしゃ)
1872年(明治5)の 「東京日日新聞」を皮切りに、次々と新聞が創刊され、 東京の近代ジャーナリズムが開幕した。「朝野新聞」は1874年(明治7)に創刊され、社長の成島柳北、主筆の末広鉄腸らが新政府を辛練に批評し人気を博した。
東京では1887年(明治20)までに150紙にのぼる新聞が発行されたが、それらが竣工したばかりの銀座煉瓦街に集まり、銀座はジャーナリズムの中心地となっていった。とりわけ銀座4丁目の交差点には「朝野新聞」の他にも「曙新聞」や「東京横浜毎日新聞」といった代表的な政論新聞が社屋を構え、自由民権運動の高揚にともなって、互いに論陣を張った。

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銀座4丁目 | 中央区 今昔物語 | 地域密着型新聞らいふ

そして明治期を代表する高層ビル浅草凌雲閣(りょううんかく)鉛筆形のビルでとても僕好みのデザイン、煉瓦造りで上層部2階が木造なのも個性的、もっともこの造りが関東大震災で倒壊を招いた一因なのでしょうが。
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浅草十二階の名で親しまれた凌雲閣は、英国人の技師ウィリアム・K・バルトンの設計によるもので、1890年(明治23)に落成した。浅草のシンボルとして土産絵にも登場し、関東大震災で倒壊するまで多くの人々でにぎわった。
高さは220尺(約67m)とも197尺(約60m)ともいわれ、10階までは八角形の総煉瓦造、その上は木造だった。内部には世界各国の品物を売る店や休憩所があり、11,12階には眺望のための望遠鏡が備えられていた。 また8階までは日本で初となるエレベーターが設置されたが、のちに危険性が高いとして運転が中止された。開業時の縦覧料は、大人8銭、軍人・子どもは半額であった。復元にあたっては当時の写真や錦絵をもとにした。

そしてこちらも興味深い凌雲閣双六、上階に上がるごとにステータスが上がっていくデザインに感じるのは僕だけでしょうか?
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何だか上階につれて値段の張る肉レストランビル秋葉原万世ビル双六とか作ってみたいものです。

そして浅草6区の映画館(活動写真館)の電気館
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明治36年、東京浅草で電気仕掛けの器具類を並べX光線の実験などをしていた「電友館」が改称し、活動写真常設館「浅草電気館」が誕生しました。日本に入ってきた活動写真を上映するにあたり「国家のため電気知識の普及を意図し、電気の名をとどめるように」との条件があり、その名が「電気館」となりました。浅草電気館の隆盛により、全国に「電気館」という名の劇場が次々と誕生していた明治44年、窪寺喜之助が熊本で初めての活動写真常設館「電気館」を現在のシャワー通りに創設。その好況に刺激され新市街周辺は、世界館・朝日館・松竹館・相撲館などが立ち並び、市民の娯楽の中心となっていきます。
大正3年に現在地に2代目電気館が移転、開館。定員900人のまさしく活動写真ファンに応えた近代建築において、松竹キネマ・帝国キネマ・ユニバーサル・パラマウント・フォックスなどの作品を上映し、映画ファンの熱狂は増していきました。 当時は洋画・邦画とも無声映画であり、弁士が説明にあたり、観客席前の和洋合奏団が演奏をするもので、大正中期には、尾上松之助やチャップリンなど、名作として残り得たものが現れます。この頃から活動写真を「映画」と呼ぶようになりました。
時代は移り昭和3年、1Fに飲食店等のテナント、2〜4Fが映画館、屋上娯楽施設、エレベーター設置など当時としては画期的な3代目電気館が落成、以降一帯は映画館街として近代化を遂げます。戦中は地下が避難場所となるなど、戦前〜戦後を通して活躍した建物も再開発のため平成7年に現在のビルへ改築。

浅草6区電気館周辺の模型、他にもオペラ館・三友館・千代田館ほか次々に映画館が誕生しました、当時は映画館がこんなにひしめき合っていたのですね。
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そして大正時代の洗練されたデザインまずは森永ミルクキャラメル箱、小売店にお菓子を納める際の化粧箱らしいのですが、何とも魅了されるデザインで何より魂がこもっております。巷に居がちな「アムステルダムにインスパイアされた街づくり」とかぬかすインチキクリエイターあたりに見せてあげたくなるデザイン。
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洗粉(石鹸)のポスター「ツバメ」の文字がツバメの姿をかたどったデザインになっております、絞ったジュースをスムージーとか言ってるエセデザイナー辺りにはたどり着けないセンスであります。
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そして関東大震災後災害に強いメディアとしてラジオが急増に普及します。
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当時の家の間取り、自宅に通じるものがあり見てると妙に落ち着くのは僕だけでしょうか?
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休憩ベンチの床にまたもや双六、ホント昔の人達は双六好きですね。
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時代は昭和に移り楽しそうなビールのポスターなのですが流れ的にそろそろ来る筈あのダークな展示が。
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隣にありました戦争中(´・ω・`)一気に展示品が錆びた鉄とかになってしまうのですよね。。
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そんな中で興味深い展示だったのが風船爆弾、天井が高く広いスペースなので展示が可能なのかと感心していたのですが縮小模型でした。。
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風船爆弾(復元模型)
風船爆弾は、日本軍がアメリカ本土の攻撃のために開発したもので、和紙をこんにゃくで貼りあわせて作った直径10mの気球に、爆弾や焼夷弾を吊り下げて飛ばした兵器である。 陸軍によって秘密理に開発されたこの兵器は、 軍の施設のほかに、日本劇場や東京宝塚劇場、 国技館といった大きな空間を持つ施設で製造された。 製造にあたっては、 学徒動労動員によって集められた女学校の生徒たちが多数従事した。完成した風船爆弾は、 太平洋沿岸の千葉県の一宮や茨城県の大津、 福島港の勿来にあった各打ち上げ基地より、 1944年(昭和19)11月から翌年4月にかけて9,000あまりが打ち上げられた。そのうち300個弱がアメリカ大陸に到達し、オレゴン洲では6人が犠牲になったという。
この模型は、実物を保管しているアメリカワシントンの国立航空宇宙博物館が作成した報告書などを元に、気球部を1/5ゴンドラ部を1/2に縮小して製作した。

こちらは30年ほど前に風船でアメリカに向かって飛び立ち行方不明になった風船おじさん
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http://www.saitama-subaru.co.jp/plane/09_suzuki.html

 

そしてやっぱり真打ちはアニメ「風船少女テンプルちゃん」

お遊びで気球に乗った時に風に飛ばされ、両親と離れ離れになったテンプルちゃんですが、タムタム坊やをはじめとする仲間達と音楽隊を結成し両親の元に帰る旅をするストーリー。旅の目的はテンプルちゃんを両親の元に帰す事なのですが、それはイコール旅の音楽隊の解散(テンプルちゃんとサヨナラ)になります、終盤は悩むタムタム坊やなのですが、ラストはハッピーエンドの大団円。

風船爆弾も風船おじさんもこのハッピーエンドを見習って欲しいものです。

 思えばOP主題歌の♪陽気に歌いましょ♪の部分を♪陽気に屁をこいて♪と替え歌で歌っていた子供の頃。。

スイマセン…またまた話が横道に逸れてしまいました(x_x)

 

終戦後の東京(模型)
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闇市など貧しい時期を経て高度成長期に突入します、ここら辺りから僕も記憶のあるモノが増えてきます、ここなんか僕が子供の頃に住んでた団地みたいで、ついつい懐かしくリビングに入りたくなってしまいます。
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洗濯機って昔はこんな形だったのですね…
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最後のテーマは変化を続ける東京、その時々で流行したアイテムを展示しております。
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僕が子供の頃かすかに覚えているパンダブーム時のキャラクターグッズ、お隣はインベーダーゲームの筐体。
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ゲームウォッチとファミコン
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ラジカセがこんなに大きいなんてありえない(+o+)
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やっぱりコレが一番ハァハァします…(´д`;)
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江戸東京博物館
住所:東京都墨田区横網1-4-1
電話:03-3626-9974
H.P.:https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/sp/
アクセス:JR両国駅から徒歩3分・都営地下鉄大江戸線両国駅徒歩1分
営業期間 :9:30~17:30
休館日:月曜日(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌日)年末年始
料金 :大人600円 ・大学生・専門学校生480円・高校生・中学生(都外)・65歳以上:300円・中学生(都内在学または在住)小学生及び未就学児童:無料