小学校5年生の夏休み、自由研究の課題作成ために母親と一緒に登呂遺跡に行きました、現地(遺跡)の写真を撮って案内板を書き写しポスター大のパネルを作った思い出があります。
いかにも優等生的な課題提出ですが、実際は歴史好きである担任教師からの点数を稼ぐために母親が勝手に企画、そして半ば無理矢理連れて行かされた登呂遺跡、写真は夏の炎天下の中で母親から書き写しを強要されている昭和時代の僕(>_<)
母親から「先生からの内申書が良くなるように書きなさい!」と要らぬ小言を言われながらのウンザリ遺跡訪問。僕がインチキくさい人を小馬鹿にする癖は、母親の存在が原点だった…と今更ながら思ってしまいます。
オヤジになって当時を振り返り、もう一度課題提出(ブログ記事)をしてみようと秋晴れの休日に再訪した登呂遺跡です。
静岡駅から登呂遺跡のアクセス
静岡駅南口バスターミナル22番のりば~石田街道線~ (バス料金 190円)
①登呂遺跡行き 「登呂遺跡(終点)」 バス約10分
②東大谷行き・久能山下行き「登呂遺跡入口」 バス約10分+徒歩約5分
東大谷行き・久能山下行きの場合は「登呂遺跡入口」で下車後に少しだけ歩くアクセスになります。
バス停「登呂遺跡」「登呂遺跡入口」がややこしいので地図を参照して下さい
バス停「登呂遺跡入口」
こちらがバス停「登呂遺跡」です
目の前は登呂遺跡なのですが、ただの公園っぷりに唖然とします、こんな感じだったっけ。。
数々の竪穴式住居
登呂遺跡は、今から約1,900年前の弥生時代後期の集落遺跡です。太平洋戦争中の昭和18年(1943) に発見され、昭和22年から25年(1947~1950) に行われた学際的な発掘調査により、弥生時代の人びとの暮らしと米づくりの様子が日本で初めて明らかとなり、昭和27年(1952) に「特別史跡」に指定されました。
平成11年度から平成15年度に行われた再発掘調査では、遺跡は洪水により2度埋没し、その度に復興された変遷が確認されるなど、集落の様子が細部にわたり明らかになりました。特に、最初の洪水前の集落の姿が最も良好に保存されていたため、再整備ではそのすがたを復元しました。
平成の再整備により、以前と比べて変わった場所もあるみたいですが、僕には住宅街の公園に昔の住居を作っただけにしか思えません(x_x)
母親は夏休みの自由研究の頃から、中学受験に異様な執着心を燃やし始め、息子を有名大学の付属中学校へ入学させる暴走機関車となりました。それに対して僕は勉強へのやる気が失せ成績はどんどん落ちていき、結局最後には高校を中退するハメになってしまいました。
母親は進学塾の講師に吹き込まれたのか「受験が終わるまで夏休みはナイ!」「六大学にあらずんば大学にあらず!」とか数々の名言(迷言💦)が生まれたのもこの頃、ちなみに料理の嫌いなウチの母はスーパーで買ってきて、家でお皿に移すだけの刺身を週に3回食卓に出しておりました「夕食は刺身定食 (>_<)」
当時は竪穴式住居の前で「何事も書いて覚えなさい!」と叫んでいた母親ですが、現在ではOCR(文字認識)アプリですぐにポン!ちなみに現在母親はスマホに機種変して3年経ちますが、簡単な電話帳登録ですら書いても何やっても覚える事が出来ません…。
登呂遺跡1号住居
昭和22年に発見され、再整備計画により平成12年に再調査された住居跡。住居内部の平面積は、約45㎡。長軸7.5m、短軸約 6.5mの楕円形。周囲は盛土により周堤が築かれている。住居の内部には、羽目板をめぐらし、床の中央に炉を設けている。
登呂遺跡3号住居
登呂遺跡で初めての復元住居設計の基礎となったもので、床下部分には炭と白い粘土が交互に重ねられており、粘土と火を使って床を焼き締め、住居内に地下水が浸みないようにしたものだと考えられるハイテク仕様ですが、どの住居だったかすっかり忘れてしまいました。
登呂遺跡祭殿
登呂遺跡の再整備計画に伴う平成11年の再発掘調査により、新たに発見された大型の掘立柱建物。正面の幅は7m、奥行き4m棟木(むなぎ)を建物本体の外側で支える棟持柱(むなもちばしら)が特徴。登呂ムラ全体の儀式(豊作などの祈願やその占いなど)や重要な話合いなどに使われたものと考えられる。
この建物の前には広場が設けられ、周囲の溝によって住居群とは区別された特別な区域であったと考えられる。祭殿の南側の水路に際した窪み状遺構からは、占いに用いられた「ト骨」(ぼっこつ)が出土しており、そのことを裏付けている。
水田を眺めながら、勉強なんかしないで田植えの手伝いをしながら過ごしたい…と思っていた小学校時代を振り返ります。
ブログ冒頭の小学校時代に撮った竪穴式住居を見つけました、住居の周りに柵があったのであの時の場所だった筈、残念ながらレトロな案内板は撤去されておりました、あの頃を思い出し懐かしくそしてウンザリする場所(>_<)
こちらもOCRアプリでコピーペースト書き写す事なんぞしませんよ(`ε´)ノ
旧復元建物
弥生時代の建物の具体的な理解のために、戦後の発掘調査の成果をもとに関野克東大教授により復元住居の設計図が作成され、全国に先駆けて昭和26年に竪穴住居、翌昭和27年に高床倉庫が復元されました。登呂遺跡調査の貴重な成果を、永く人々の記憶にとどめるため、当初の復元のままにメモリアル広場に残しました。
登呂遺跡博物館
遺跡と隣接して博物館があります、現在の建物は2010年に全面リニューアルとの事、当時はもっとボロい(失礼💧)博物館だった筈、僕は全く記憶にないのですが…。
1階は弥生体験展示室(無料)・2階は常設展示室(300円)
体験展示室のイラストを見てると歴史の教科書を見ながら勉強しているフリをしていた小学校時代を思い出します、まがりながらも僕が歴史が好きになったきっかけ、算数や国語の教科書に比べると面白いですものね(^。^;)
こちらは当時の生活をイメージした住居と倉庫、座っているオジサンが何ともリアル。
2階に上がって常設展示室に入ると重要文化財の土器がずらり
そして貴重な展示物に皆さん見入っております、僕は小学生の頃この登呂遺跡で何を感じ、どんな自由研究の課題を仕上げたのか思いに耽りますが全く思い出せません。
それだけ母親から無理矢理やらされたモノで、全く気持ちが入って無かったのでしょう。
唯一覚えているのは、課題を返却して貰って家に持ち帰った翌日に母親は「ウチは狭いんだから要らないモノはとっとと捨てる!」と言い放ちパネルをバキバキに折ってゴミ箱に捨てた事だけです(x_x)
今夜の夕食も刺身定食…(ノД`)ウンザリ
静岡市立登呂博物館
住所:静岡市駿河区登呂5-10-5
電話:054-285-0476
H.P.:https://www.shizuoka-toromuseum.jp/
開館時間:9:00~16:30
登呂遺跡公園は24時間解放
※駐車場の利用時間は8:30~17:00
入館料:300円(登呂遺跡・博物館1階・屋上テラスは無料で観覧できます)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)・祝日・振替休日の翌日・年末年始(12/26~1/3)