だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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埼玉県北本市の「学校給食歴史館」は懐かしの給食メニューがいっぱい

小学校の時は給食でした、僕自身は割と美味しく食べていた生徒だったのですが中には苦手な献立もあったり、アルミの食器(アルマイト)とスプーンの当たった「カチャカチャ」という音が嫌いだったり若干のストレスを感じる給食の思い出があります。

中学校に進学すると昼食は弁当になってホッとしたのも束の間、母親の手抜き弁当が連発、しまいにはこつぶっこを弁当のおかずに入れてきた始末、お米に米菓なんてありえませんよ!
その後僕が高校を中退したのを皮切りに人生においてバックレ癖がついてしまい、職場を転々とする様になったのもあの弁当が原点だった…と今更ながら思ってしまいます。

話は小学校時代の給食に戻ります「給食のび子」とあだ名されていた女子生徒がおりました、彼女は給食を食べ終える事がなかなか出来ず、昼休み後の授業になっても一人泣きながら給食を口に運んでいた光景を思い出してしまいます。ホント昭和時代の教師や親ってエゲつない事を平気でしますよね…そんなネガティブな気持ちで訪れた先は埼玉県北本市にある学校給食歴史館、アクセスも含め無料づくしの隠れ穴場スポットです。
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アクセス

JR高崎線北本駅東口から約3km
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給食会H.P.で案内しているアクセスは川越観光バス市内循環北本高校先回り「ワコーレ北本」下車のコース(約15分)ですが
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駅前のバス停で時刻表を懸命に写すお婆さん、僕もよく行く日雇い現場のバス時刻表をメモアプリに入れて利用しておりましたが、ある日バックレに近い形で行かなくなり即スマホ内の時刻表を削除(ノД`)そんな事を思い出すと胸が締め付けられます。。
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現地に行く際に是非とも利用して欲しいのが、ワコーレ北本行きのシャトルバス(無料)
停留所は駅前ロータリー、朝夕は1時間に6本以上で日中でも4本の運行でとても便利。f:id:earth720105:20201112174258j:image

ワコーレ北本住民でないと乗れないのでは…という懸念もあるかもですが、ワコーレ北本停留所に「給食会とバンザイ工業は契約により利用が許可されております」との表記があります。
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萬歳工業株式會社
http://www.banzai-ind.co.jp/index.html
いちいち言わなくても大丈夫ですが、もし心配な方は「給食会に用事があります」と運転手に一言添えて乗車する事をお勧めします。
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10分程でワコーレ北本に到着、堂々とした物件、敷地内にスポーツクラブやモールもあります。
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こちらが停留所、屋根付きで雨の日も安心、帰りはこちらから乗車し北本駅に戻りました。
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そんなハイソなマンションの向かいにあるのが学校給食会(写真は川越観光バスとワコーレ北本停留所)
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歴史館は奥にあり、入るのに躊躇してしまいますが怯まずに進みましょう。
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振り返って給食会本館とワコーレ北本を撮影
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そして学校給食歴史館に到着です(^_^)/
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学校給食歴史館(給食の歴史)

開館時間 9時~16時
入館料  無料 
休館日  土・日・祝日

「ごめんください」と言いながら受付で待つ僕、間もなく職員さんが館内の照明を付けてくれます、見学者1名のみの厳しいシチュエーションでした。
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たぶん久々の見学者だったのでしょうか?説明付きの見学も可能ですと張り切る気の優しそうな職員さん、でも僕の場合マンツーマンのプレッシャーに気疲れしてしまいそうなので「ひとりで勝手に見学します」と告げました、よく考えると失礼かな?とも思いましたが気にしない…そして思ったのはこのシチュエーションは「極めてバックレづらい…(´・ω・`)」
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入口正面の学校給食発祥の地の記念碑のレプリカ、本物は山形県鶴岡市大督寺にあります。
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給食の歴史について分かりやすい解説とかわいいイラスト
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こちらが明治22年に山形県鶴岡町私立忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で実施された給食発祥のサンプル食品ですが、わりと美味しそう…お菓子がおかずに入っている僕の中学校時代の弁当よりなんぼかましです(T_T)
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大正時代の五色ごはん給食
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そして日本は戦争に突入します、すいとんは以前母親がお金が無い日に家で夕飯として出てきた記憶があります、戦後の食糧難の頃を忠実に再現した一品で味のしない汁を吸った小麦粉の生地、一口だけ食べてご馳走さまをしてファミレスに向かった高校時代(すでに学校中退済み)の冬(平成2年頃)
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ララ物資
米国在住の日系人「浅野七之助」は戦後の日本の窮状を知り、当初は同士10人足らずで救済の活動を行なう。米政府に働きかけ公認を受け寄付を募り、日本を救済する為のボランティア団体「ララ 」を発起し敗戦後の多くの日本人を救った。

第2次世界大戦終戦直後の混乱期、 日本は衣食住すべてに不自由していた。こうした中、全米の各宗教団体を中心とする海外事業運営篤志団アメリカ協議会は、特に日本をはじめアジア諸国の救済事業を行うために『アジア救援公認団体』を設置し、 ミルク類、穀物、缶詰類、油類等の食料をはじめ、 衣類、医薬品、靴、 石鹸、裁縫材料などの消費物質のほか、 乳牛や山羊などを送り、 多くの日本人を救った。この物資の送り出しにあたっては、当時の在米邦人組織の方々の多大なご尽力もあったと伝えられる。この救済物資は、『アジア救援公認団体』の英語名” Licensed Agencies for Relief in Asia"
と呼ばれ、昭和21年11月30日に「ララ」物資を積んだ第1船ハワード・スタンズペリー号が、 横浜新港埠頭に着岸し、以後昭和27年6月までの6年間送られ続けた。

ようやく爺さん婆さん世代(失礼な表現です)がお馴染みの給食が登場、脱脂粉乳とコッペパンそしてクジラの竜田揚げ、今ではスキムミルクとして当時のものよりも水に溶けやすく、風味も使い勝手もよくなっているとの事なので試しに飲んでみたいものです、そしてクジラの竜田揚げはすっかりレア食材となってしまい、当時を偲ぶ味はコッペパンのみとなってしまいました。
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揚げパンやレーズンパンは当時子供達に人気があった記憶がありますが僕は苦手でした…。粉がまぶしてベチャベチャした食感、そしてレーズンとグリーンピースは僕の大嫌い2トップ…こればかりは牛乳と一緒に飲み込んでおりました。
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中には嫌いな食材をロッカーの角に捨てている奴もおりました、そんな彼の現在のSNS投稿を見てると食べ物を粗末にするオヤジになってしまったのだとつくづく実感(ノД`)
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昭和50年代の給食を見ると、どうしても給食のび子を思い出してしまいます、牛乳で飲み込んだりどさくさ紛れに捨てたりある意味要領のイイ行動が取れずに当時の教師にありがちな無意味な強要や押し付けの犠牲になった彼女、食べられる分だけ楽しく食べるという発想は当時の指導者にはなかったのでしょうか?
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幸い僕は給食では嫌な思いはなかったのですが、勉強では母親からかなりの強要があった反動でやる気ゼロのオヤジになってしまいました。

高度成長期後の歪みが目立ったあの時代、残念ながらのび子が誰だかは思い出せません。facebookで繋がりのある幼馴染みに聞けばすぐ分かる事なのですが、そのままにしておいて僕の心の中に留めておきたく思います。
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人気のあったソフト麺、袋が開けづらくやっとこさ開けてアルマイトの器に入ったカレー汁の中に落とし、先割れスプーンでカシガシほぐして食べておりました(遠い目)。
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あの頃の教室を思い出してしまうライブラリーコーナー
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今度は給食配送の仕事でもやろうかな?3日でバックレる予感がしますが…(ノД`)
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学校給食歴史館
住所:埼玉県北本市朝日2-288
H.P.:http://www.saigaku.or.jp/profile/library/
休館日:土・日・祝日
開館時間:9時~16時
入館料:無料

学校給食歴史館(その他のみどころ)

学校給食用食器の変遷
歴史と現状
①約120年前、山形県の私立忠愛小学校で 「瀬戸物」 (陶磁器)を、 各自が持ち寄ったのが始まりと言われています。
②戦後、学校での全面的な給食制度が始まり、 アルマイト製食器が使用されました。熱いと手で持てない為「犬食い姿勢」としてマスコミに大きく取り上げられました。
③ポリプロピレン製食器やメラミン製食器が使用されるようになりましたが、溶出物の安全性(現在は理解が得られている) や、 食品による着色汚染に問題がありました。
④ステンレス製や陶磁器、 強化ガラス製が検討されましたが、 食器を取り扱う作業者や低学年の児童に対して重量が重いために問題がありました。
⑤その後使用しやすいプラスチックが研究され、 ポリカーボネート製食器が使用されるようになりましたが、環境ホルモン問題が取り上げられました。(現在、厚生労働省告示第201号の規格基準をクリアーしており、使用禁止措置は取られていない。)
⑥現在、長年の研究の末に開発されたポリエチレンナフタレート製食器が、安全性が高く安心して使える食器として使用されています。

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サッカーW杯やラグビーW杯にちなんだ学校給食の展示もあります、個人的には偏食(が多いと言われている)の中田英寿がどうやって学生時代の給食を乗り切ったのだか興味津々、サッカーの実力と屁理屈でやり過ごしたのかな~と勝手に妄想。。
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資料室では給食にまつわる色々な書籍を閲覧出来ますが、職員さんと2人だけの場所では集中して読書出来ないのでは…という懸念があります。。
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給食調理コンクール
1 食育のための生きた教材として活用でさる献立の充実。
2 食事内容の充実向上と多様化、 高度化を図る。
調理コンクールは課題献立部門と自由献立部門があります。
(どんな審査)
1次審査は学校給食の内容・価格・栄養価・独創性及び普及性等。
2次審査は衛生・盛付・味など及び食に関する指導内容の審査。

入賞作品(給食?)のなかで僕が気に入ったのは以下の2品(・∀・)ノ
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