神社・仏閣参拝のみならず、切通しをヒィヒィ言いながら歩いたりハードな鎌倉の道にハマっている今日この頃。
今回は紅葉の時期、そして大仏や八幡宮等の定番コースを押さえながらもちょいとした山道を歩きマニア受け(?)しながらもデートコースにもオススメな源氏山ハイキングコースをご紹介します。
源義家(八幡太郎義家)が奥羽地方の合戦(後三年の役)に出陣の際、山頂に源氏の白旗を立て戦勝祈願をしたこともあり「旗立山」の別名もある源氏山、源頼朝もこれに習い平家追討の際に勝利祈願をしたと言い伝えがあります。
〈目次〉
- 源氏山ハイキングコースをデートにお勧めする理由
- 源氏山ハイキングコース
- 縁結びと幸せの葛原岡神社
- 源頼朝像と銭洗弁財天の分岐点
- お金が増えて戻ってくる宇賀福神社(銭洗弁財天)
- 源氏の勝利祈願の場所
- 化粧坂(けわいざか)切通し
- プチアドベンチャー
源氏山ハイキングコースをデートにお勧めする理由
①基本は北鎌倉~鎌倉の電車沿いルートなので源氏山を拠点に他の有名スポットへのアクセスが容易
②程良く疲れないビギナー向けのハイキングコース
③歴史を感じさせるスポットが多く日本の武家時代を語りながら多少蘊蓄を披露出来る
④とにかく男女問わず幅広い世代が楽しめるスポット
⑤縁結びや金運アップの皆さんのニーズに応えた神社がコース内にある
写真は老若男女が楽しんでいる源氏山公園の源頼朝像の前、お弁当や敷物も用意してじっくりと無料で1日中楽しめる事も出来ます。
源氏山ハイキングコースは「北鎌倉駅~浄智寺~源氏山公園~寿福寺~鎌倉駅」のルート
勿論逆(鎌倉)からのルートでもOKなのですが、北鎌倉駅に向かう狭い歩道の渋滞道が、ハイキングコースのラストになるとゲンナリする事もあり、僕はもっぱら北鎌倉からのスタート派。
北鎌倉駅前の有名スポット「円覚寺」は時間の都合もあり今回はスルー、野郎同士でおふざけ撮影している輩もおりますが、次回は彼女と一緒に参拝して欲しいものです。
車に気をつけながら歩きます
浄智寺はここを左折
後は快適のハイキングですが、後ほど非舗装の道もたくさん出て来ます(>_<)
源氏山ハイキングコースはビギナー向けとは言え、木の根や岩が剥き出しの道もありスニーカーやトレッキングシューズ着用は必須、今回僕は3回程ズルッと滑りました(>_<)
浄智寺は時間の都合上スルーちなみに拝観料は200円です。
源氏山ハイキングコース
入口近くには「たからの庭」という陶芸教室があります、横道に入って覗いてみました。
こんな自然あふれる場所だったら僕にも皆を唸らせるアートな作品が出来そう(スイマセン…言いすぎました)
そしてハイキングコースに突入、段々と険しい道になり膨らむ期待感、人もそれなりに多いので安心しながら登山(?)を楽しめます。
すれ違う皆さんと「こんにちは~」の挨拶で登山気分を満喫、たまに聞こえる電車の音が少しだけ萎えますが(>_<)
たまに足を引っ掛けそうな木の根もあったりしますが…
デート中に女性に気遣いを見せながら歩けば好印象になる事請け合いのハイキングコース
程良く中間地点(休憩所)が現れるのもポイント高、そしてココには魔除け・縁結びの神社があるのです、もうカップルで行けば一気にテンションUP、写真はぼっちのオヤジですが(x_x)
鎌倉の街並みを一望、ちょっとした達成感も味わえます。
縁結びと幸せの葛原岡神社
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕のために活躍した「日野俊基卿」を祀る神社として、明治の初めに創建されました。俊基卿は学問に優れていたことから学問の神様として、また建武の新政への道を開いたことから、開運の神様として崇められています。
境内には良縁にご利益がある縁結びの『男石』・『女石』があり、あらゆる縁を求めて、 多くの方が参拝されています。また鳥居に向かって右手の石は『魔去ル石』といい魔が去るように願いを込め盃をこの石に当てて割れば幸せを勝ち取れるとされています。
早速100円を納め盃を投げつけ無事撃破、ここで石を外すとかなり恥ずかしいので、コントロール重視で投げましょう。
縁結びの石ですがぼっちの僕はパス…
赤い糸(御縁) の結び方
・良縁・縁結び(女性) 右側の男石
・人間関係等の絆結び 中央
・良縁・縁結び(男性) 左側の女石
赤い糸は縁結び守を受けた方にお渡ししております
※尚、御守は社務所にて投与しております
そして参拝
そして休憩所で一休み
休憩所の近くには日野俊基の墓があります、明治天皇は後醍醐天皇を高く評価した事があり、明治時代に神社と共に創建された史跡なのです。
日野俊基(ひのとしもと)は、後醍醐天皇に仕えた公家。1324年後醍醐天皇の倒幕計画に参加した罪で捕らえられ、日野資朝とともに鎌倉に護送された(正中の変)。この時、俊基は許されたが資朝は翌年佐渡に流された。
後醍醐天皇は、万里小路宣房を鎌倉へ派遣し「告文」をもって弁明したことにより罪に問われなかった。告文とは天皇が告げ申す文で、武家に出すことは前代未聞だったという。
1331年後醍醐天皇は再度倒幕計画を企てるが、これが露見し日野俊基は再び捕らえられ、翌年6月3日葛原ヶ岡で処刑された(元弘の変)。俊基は、鎌倉に入ることなく仮粧坂の葛原ヶ岡で斬首されたと伝えられている。
源頼朝像と銭洗弁財天の分岐点
先に進みます、舗装路と非舗装両方の道がありますが非舗装(あじさいの小径)は側道で同じ方向に向かうのでどちらを歩いても大丈夫です。
カワイイあじさい(前回訪問時に撮影)
ゴールで舗装路と合流します
源氏山公園にはいくつかの分かれ道(分岐点)があり、標識をよく確認して進みましょう、特にココは銭洗弁財天の参拝と源頼朝像の紅葉スポットを分ける大事な分岐点。道なりに進むと弁財天・鎌倉大仏ハイキングコース、左に曲がると源氏山公園(源頼朝像)・寿福寺(鎌倉駅前)コースです。
お金が増えて戻ってくる宇賀福神社(銭洗弁財天)
そして大人気スポットの「銭洗弁財天 宇賀福神社」へお金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるといわれる霊水「銭洗水」が湧く神社。
かくいう僕も参拝(銭洗)後に、珍しく当へっぽこブログに収益が発生しておりました(2桁金額ですが💧)御利益満載の神社。
巳の年の文治元年(1185)巳の月、巳の日、源頼朝に字賀福神の夢のお告げがありました。「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」お告げの通りにこの地に湧き水があったので、さっそく字賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれています。
この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると信じられています。鎌倉五名水の一つです。
入口の洞窟を出て少しだけ京都の伏見稲荷大社を思わせる沢山の鳥居をくぐり
まずは下ノ水神宮をお参り、チョロチョロ流れる水を眺めながら「お金が増えて欲しい」と呟いてしまいました。
上ノ水神宮へ登ります
そしてメインイベントの銭洗い、まずは100で線香とザルをお借りして
皆さん2人で並んでの参拝ですが僕だけぼっち…鈴を鳴らして足早に立ち去ります。。
そして奥宮内での銭洗い、ザルと杓子を使ってお金をジャブジャブ。
残念ながら財布の中の硬貨は百円玉ばかり、中にはお札を洗っている参拝客もいました。
使用前( ・_・;)
使用後(・∀・)目指せブログ収益!
源氏の勝利祈願の場所
分岐点に戻り、今度は源頼朝像を目指します、周りでは様々な年齢層の人々が思い思いに寛いでおりとても良い雰囲気。
勝利祈願の場所だった事もあってか、カップルや家族連れの皆さんが記念撮影に勤しんでおります「早よ撮れや…」と心の中で呟く心の狭い僕、市街地に近く標高が低い割には険しい山道、織田信長が天下の足掛かりにした金華山(岐阜城)との共通点を多く感じます、天下人が拠点とする場所は似ていると実感、住むなら駅近とかほざく小物の僕とはえらい違い。。
像の裏手に回ってみたのですが、何もありませんでした。
そしてここは紅葉スポットでも有名な場所、天候にも恵まれスマホカメラで適当に撮ってばかりの僕でもアートな写真作品が仕上がる予感(スイマセン…言いすぎました>_<)
化粧坂(けわいざか)切通し
亀ヶ谷坂切通し・化粧坂切通し・巨福呂坂切通し・大仏切通し・極楽寺切通し・朝夷奈切通・名越切通しは鎌倉七口と呼ばれ、鎌倉と外部を結ぶ重要な要路でした、そんな七口の中のひとつ化粧坂切通しを下って市街地に抜ける事もできます。
他の切通しと比べ距離が短くわずか80メートルなので一度舗装路(ゴール地点)まで降り
そしてまた登る往復コースを敢行💦
濡れた道やゴツゴツの岩の道など若干気を使う箇所もあります
元の場所に戻りました…単に疲れただけの切通し往復(x_x)
プチアドベンチャー
個人的にはここから寿福寺までの難所の方がお気に入り、このルートも道が険しくデートコースには若干不向きですが、歴女やファミリーでも通っているのでチャレンジの価値あり、最も厳しい場所には抜け道の階段があります。
通行注意のボロい看板に期待が膨らみます
だんだんと険しくなる道
左手には寿福寺の墓地が見えます、やっぱりここは夜は通行禁止なのか?と余計な心配をしてしまう僕。。
奥には北条政子(頼朝妻)と源実朝(頼朝息子)の墓もあります、以前訪問した名越切通しのまんだら堂を思い出す洞穴(?)
そしてここが冒険(?)のハイライト、個人的には一番のお気に入りスポット。
ありえない位の細い場所を木の幹の手すりを伝いながら降りていきます。
振り返って撮影
通り抜けるのに不安な方は墓地の階段から降りるコースもあります。
難所を過ぎれば寿福寺の境内が見えてきます、こちらも振り返っての撮影。鎌倉では珍しく一般公開されていませんが、厳かな石畳の参道はゴール地点に相応しい場所。
源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明蕃栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。鎌倉幕府三代将軍の源実朝も、再三参詣しました。崇西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で「突茶養生記」を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。
鎌倉五山(かまくらござん)は、臨済宗の鎌倉にある5つの禅宗の寺院(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)ですが、スタートが浄智寺そしてゴールが寿福寺で何とも言えない達成感、写真は仲良く参拝するカップルで振り返りながら優しく彼女を待つ彼氏、そしてそんな風景を見てイラッとしてしまう心の狭い僕(x_x)
もうここは鎌倉駅の近く、踏切を渡って少しだけ歩くとそこは鶴岡八幡宮前の小町通り、一気に日常に戻ります。
鎌倉は北東西の三方を山や丘に囲まれ、南には相模湾が広がっており、このような地形は守りやすく攻めにくい自然の要害地、そんな鎌倉の歴史を満喫でき楽しめるコースなのです。
そんな場所をぼっちで歩くキモい僕はハイキングコースの弊害(ノД`)