「絶景ローカル線」と検索すると必ずと言って良いほどランクインする只見線、特に紅葉や雪景色で絶大な人気を誇る路線で、有名な撮影場所「只見川第一橋梁」の写真は目にした方々も多いのではないでしょうか。写真引用先:只見線 – 三島町観光地域づくり情報サイト
そして人気ぶりは海を越え、中国のSNS微博(ウェイボー)でも世界で最もロマンティックな鉄道と紹介され「福島の只見線は世界で最もロマンチックな鉄道と言われている。皆さんもどうぞ。私はもうその美しさに泣いてしまった」のカキコミが大きな反響となりました。
写真引用先:世界で最もロマンチックな鉄道「只見線」の秘境駅をめぐってきた! | 福島TRIP
JR只見線は会津若松駅(福島県)と小出駅(新潟県)間135.2kmを結ぶ、全線非電化・単線で只見川に沿って奥会津から県境を越え魚沼市小出までを走る絶景ローカル線。僕も「泣いてしまった」のコメントと共に多くのブログ反響を期待したいものです。(写真は会津若松にて撮影)
只見線の歴史について軽くまとめ
①戦前に会津若松~会津宮下が、会津線として開通し戦後(1941年)に会津宮下まで延伸。
②一方新潟側の小出~大白川は1942年に只見線の名称で開通
③田子倉ダム建設のため1956年に会津宮下~会津川口が開通、更に会津川口からダム建設現場までを工事専用鉄道として敷設しダム完成後は会津川口~只見を開業。
④県境の難所だった只見~大白川が1971年に開通
会津若松~小出が只見線となって全通を果たす。
※会津川口~只見間27.6kmが2011年の豪雨により、いくつかの橋が流され不通状態で代行バスを運行、復旧時期は2022年を目指すと報じられております。
〈追記〉2011年(平成23)の新潟・福島豪雨により甚大な被害を受け不通区間となり代行バス運行となっていた会津川口~只見間は、2022年(令和4)約11年ぶりに全線運転再開を果たしました。
〈目次〉
会津若松~会津川口(キハE120形)
僕の住む埼玉県から頑張れば日帰りでの完乗は可能ですが、体力と気力が持たないと思い会津若松駅前のホテルに宿泊して6:03発の始発に乗車。
ローカル線の旅を見送ってくれるイマイチ垢抜けないゆるキャラ達
車内はローカル線らしくナイ今どきな雰囲気ですが、気動車のゴッーというエンジン音はやっぱりローカルを感じてしまいます。
とりあえずの終点駅「会津川口」に向かって出発する只見線は住宅地を過ぎて行くと
風景は一気に会津盆地、まぁここら辺はありがちなローカル線の風景なのでスルーしても全然OK(・д・)ノ
それにしても会津○○って駅名が多いですね、最寄り駅の確認や待ち合わせの時に混乱しないのでしょうか??
まぁ‥そんなに本数も無いし待ち合わせする人なんてまずいないでしょうから大丈夫なのでしょう。
会津盆地をひた走る只見線
コンテナ状態の駅舎「会津坂本」と眠くなってしまう風景
一見でっかい風呂桶みたいな駅舎の「郷戸」ですが、ここからは風景がだんだんと変化していく重要なポイント地点、僕は勝手に「郷戸スイッチ」と命名。
郷戸スイッチoff(-_-)
そして郷戸スイッチon(・∀・)
そして会津桧原~会津西方では冒頭でも紹介した只見第一橋梁を渡ります
只見川がS字にカーブしているところに架けられた橋梁
もう郷戸スイッチは全開(・∀・)ノ
会津宮下では(確か)5分程度の待ち時間がありホームに降りましたが、とても寒かったのでとっとと車内へ退散。
只見川に沿って走る風景を右や左に移動しながら撮影
乗客が少ないとは言え、全くもってイタ客で乗り鉄ビギナーの僕。
終点の会津川口まではもう少し
錆々の駅名標が暖かく出迎えてくれます、個人的には海の見える鶴見線の終点の海芝浦を思い出しました、あちらは彼方に沢山の工場がありますが、こちらはどでかい山々なのです。
ありがとう!キハE120
会津川口~只見(代行バス)
只見線は、2011年7月の新潟・福島豪雨災害で、3本の橋梁が倒壊してしまい「会津川口~只見間」は代行バスが運行しております。途中で代行バスに乗り換えとなると、ハードルが高く感じるかもですが、移動中の良いアクセントになり気分もリフレッシュ、もちろんJR乗車券(青春18きっぷ含む)で利用できます。
バスの運転手が横柄な態度で「代行してやってるんだゴルァ(゚Д゚)」とか言ってきたらどうしようとビクビクしておりましたが、とても親切な運転手さんでした。
電車とはまた違った車窓の風景に大興奮
東北電力のダムが見えます、元々ここはダム建設のために敷設された区間なのです。
田子倉ダムの建設のため1956年に会津宮下~会津川口間が開業。会津川口から只見を経てダム建設現場までは、電源開発株式会社の専用鉄道として敷設され、1957年から1961年までダム建設輸送に使用された。田子倉ダム完成後は、会津川口 - 只見間を国鉄の営業線として使用するための改良が施され、1963年に国鉄線として開業した。
只見線 - Wikipedia
地元の皆様は不自由な思いをしておりますでしょうが、お構いなしでバス旅を楽しむイタ客ですいません<(_ _)>
現在は上下分離方式による鉄道の復旧が決定して2022年の運転再開が報じられております。
バス旅も楽しかったのですが、早めに運転再開して欲しいものです。
ありがとう!運転手のおじさん
只見~小出(キハ110系)
只見駅内の切符売場はお土産屋状態
そしてローカル色の強い車両「キハ110系」がお出迎えです、只見線最大のハイライト区間「只見~大白川間」の六十里越を目の前にしてやる気満々の運転手。
雪が眩しい車内で発車を待ちます
只見~大白川は福島・新潟県境の20.8kmの距離でかなり長い隣接駅間なのです、ただし以前は途中に駅があった模様。。
六十里越の名の由来は、実際の距離は六里(約24 km)でありながら、険しさゆえに一里が十里にも感じられるほど余りに急峻かつ長大な山道であること、あるいは中世まで東日本においては一里は500 mであったことなど諸説ある。六十里越 - Wikipedia
山あり谷ありトンネルありの難所
隣駅までは電車で30分程、間違っても歩いて行こうなんて考えないで下さい
わずか1駅間にトンネルが10本そして橋梁は41箇所も設けられております。
圧巻はこの六十里越トンネル(全長6354m)で、5年以上の工事期間と約51億円(当時)の費用がかかり1971(昭和46)年に開通、因みに翌年の総理大臣は田中角栄(・ω・)ノ
後ほど気づいたのですが写真は全く違う場所のトンネルです<(_ _)>スイマセン
冒頭で「泣いてしまった」とのコメントを紹介しましたが、もしココに放り出されたりでもしたら絶対に泣きますね…僕は(ToT)
ようやく大白川に到着しました
トンネルを抜けると風景はすっかり新潟県
ここは新潟県の魚沼市、中選挙区時代(昭和の頃)田中角栄の圧倒的地盤だった新潟3区を走り抜ける只見線。
僕もいつかは豊島区目白に豪邸を建てたいものです(写真は魚沼田中駅前)
そんな事を妄想していたら列車は終点の小出駅
充実した電車旅でした!ありがとうキハ110系
春夏秋冬で様々な魅力がある只見線の車窓の風景、次回は紅葉の秋に乗車したく思いました、その頃には代行バス区間も復旧していたら嬉しい様なちょっぴり寂しい様な…そして次回は小出から会津若松ルートでチャレンジしてみたいものです。
宿泊するホテルはココに決定!
OKあべ(元総理) (つд`)ナイテシマウ…