当ブログでお馴染みのマズメシ写真家の外吉(がいきち:あだ名)が銀座のラーメン店で食べたFacebook投稿がこちら
「所謂(いわゆる)環七系ですねん」とのカキコミがありますが、あまり難しい漢字は使わないで欲しいもの、僕は所詮(しょせん)と読んでしまいました(´・ω・`)
1980~90年代に環七ラーメンの代名詞的存在だった「土佐っ子ラーメン」はかつて環七沿いにあった大人気の立ち食いのラーメン店
僕も高校生の頃に幼馴染みの外吉と食べに行った黒歴史があります(x_x)
確かここら辺に店がありました…脂っこい人と脂っこいラーメンを食べに行った昭和の夜(。・ω・。)
・脂っこい [形容詞]
1 食品などのあぶら気が強い
2 性質・態度などがあっさりしていなくしつこい
そんな土佐っ子のDNAを受け継ぐ背脂チャッチャのラーメンが「ときわ台」から徒歩10分の場所にある下頭橋(げとうばし)ラーメンに当時(と外吉)を思い出しながら訪問しました。
〈目次〉
環七土佐っ子ラーメンが懐かしい背脂チャッチャ
環七土佐っ子ラーメンについて軽くまとめ
①旧川越街道の下頭橋付近に屋台として始めたのが発祥
②板橋区常盤台1-58-3の環七沿いに土佐っ子ラーメンをオープン、当時としては珍しい豚骨ベースで背脂コッテリのラーメンは連日長蛇の列の人気店となる。
③しかし順調な店と対照的に経営者はトラブル続きでついには経営権を他の人間に譲渡
④新たな経営者の下で店名を「なすび」に変更し再スタート、しかし味も変わり客も離れ経営者と従業員の対立により分裂、その後なすびは閉店。
⑤分裂後に独立した従業員達の店舗はかつては数多くあったが閉店も多く、現在は土佐っ子に関わった従業員の店はごくわずか。
そんな昭和&バブルを彷彿させる土佐っ子DNAを継承する下頭橋ラーメンは、背脂のせいかあんまり写真映えしないビジュアル(ToT)
ここら辺りから甘い背脂の匂いが漂い期待が膨らみます、そして外吉を想いながらの懐かしの環七ラーメン。
当時の土佐っ子は割り箸を持たされ16,7人が一斉に入れ替わる共産圏の食料配給と見粉う(みわがう)システムにドン引きだったあの頃。
そしてロック好きの外吉はローリングストーンズの悪魔を憐れむ歌~Sympathy for the Devil~の曲名を「シンフォニー・フォー・ザ・デビル」と間違えながら叫び、箸を握りしめフゥ~フゥ~と唄いながらの行列待ち…
そんな痛キャラの外吉を尻目にスープをフゥ~フゥ~しながらしながらすすっていた当時の僕でした(ノД`)
そんな思い出に浸りながらの3名待ちの店先から覗く店内はL字の7名カウンター
ラーメン800円・チャーシューメン1250円
営業時間:12:00~20:00
定休日:水曜・木曜
(2021年11月現在)
網で背脂を固形のまま丼に豪快に振りかける背脂チャッチャは、かえしを入れた後、麺を入れる前、更には仕上げ時と数回にわたっての振りかけ。
土佐っ子時代の杯数をさばく振りかけとは違って丁寧な背脂チャッチャ
そんなチャッチャ系ラーメンは下から麺をすくい天地返しで混ぜながら食べたいもの、そしてこの甘い背脂は是非味わって頂きたい一品、やっぱり環七ラーメンの真骨頂は背脂なんだと当時を振り返ります。
一方当時を振り返ってばかりで時代が止まってしまった外吉
匿名掲示板でキレてみたり
実名SNSでおふざけ投稿したり
↑はあまりにもムカつく画像だったのでトリミングして載せました(`ε´)
脂っこいラーメンは大歓迎だけど脂っこい人間はホント考えものです。。
下頭橋は土佐っ子ラーメン発祥の地
店名の由来
元祖「土佐っ子」の味は一軒の屋合に生まれる。
その屋合の場所こそ板橋の「下頭橋」である。
「下頭橋の心」をもう一度…
「初心にかえる意気込み」
それが店名の由来である。
環七下頭橋ラーメン
従業員一同
食後に南常盤台の下頭橋まで散歩がてら行きました。
むかし、江戸から川越まで歩いていくときには、中山道板橋宿の平尾から川越街道に入り、上板橋や成増を通って行きました。川越街道が石神井川を越えるところの橋を「下頭橋」といいます。むかし、この橋は木の橋で、大水が出るたびに流されてしまいました。橋が流されると人々は、とても不便な思いをしました。
あの頃と変わらず流れ続ける石神井川
そしてあの頃と変わらず流れ続ける外吉
シンフォニー・フォー・ザ・デビル
(`ε´)ノ フゥーフゥー
下頭橋ラーメン
住所:東京都板橋区常盤台3-10-3
電話:03-3967-5957
※営業時間:12:00~20:00
※定休日:水曜・木曜
(※は2021年11月現在)