だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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C62 17号機は木曽川橋梁を最高速度129kmで疾走した名蒸気機関車

1954年(昭和29)12月15日に東海道本線木曽川橋梁の強度試験で、C62 17号機は狭軌(きょうき)の蒸気機関車としては世界最速となる129km/hを記録。

そんな痺れまくりの最速の蒸気機関車が名古屋「リニア・鉄道館」のエントランス前に堂々と展示してあります。
C62形蒸気機関車は戦時製造のため信頼性が低かったD52の改造名義で1948年から49両が製造され、その馬力や重量から幹線での優等列車の牽引に使用された日本最大の旅客用蒸気機関車です。
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1950年(昭和25)東京~大阪間の特急を従来より1時間短縮した8時間で運転するダイヤを組んだ国鉄は、当時特急を牽引していたC59形では性能的に限界に近いと判断し、C62形各車を浜松、名古屋、梅小路(京都)、宮原(大阪)の4区に集中配属、中でも特に調子の良い車両が浜松・宮原の両機関区に集められ大阪までの牽引に充てる事になりました。(写真はC62形蒸気機関車で牽引される特急列車「つばめ」山科~京都間)
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当時東京~浜松までは電化が完成しており、浜松で新鋭の電気機関車EF58からバトンを受けたC62は激走を続けて大阪駅を目指したのです。
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【狭軌】
1872(明治5)年にイギリスの技術指導を受け新橋~横浜間から開業した日本初の鉄道では、軌間1067mmの「狭軌」が採用され、鉄道網が日本全国へ展開された歴史がありJRの在来線は一部を除き狭軌、一方欧米の鉄道先進国では一部ローカル路線等を除き標準軌の1435mmを採用。
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C62形蒸気機関車の特徴
①大きな動輪
高速走行が可能な直径1750mmの大きな動輪
②大きなボイラー
D52形式の大型ボイラーを搭載し旅客用蒸気機関車としては日本最大
③背の高い車体
大きな動輪とポイラーの組み合わせでポイラー中心線の高さも日本最大 (2630mm)
④短い煙突と斜めの汽笛
決められた高さを超えないようにするため煙突を短くし汽笛も斜めに設置
⑤自動給炭機を搭載
自動的にボイラーに石炭を送り込む自動給炭機を採用、これにより機関助士の投炭作業に関わる負担を軽減。
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世界最速記録とは言っても軌間の違いの為に実質は日本記録なのです…ちなみに世界の蒸気機関車の最高速度記録は1938年に6両の客車を牽引し202.7km/hを記録したイギリス(標準軌)のマラード号という蒸気機関車が保持。
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更にはこの記録は東海道本線の米原区間の電化が迫り、列車の高速化に備えての鉄橋の強度試験で橋を渡る時に129km/hを計測した副次的な記録なのです(´・ω・`)
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C62 17号機は、予備として名古屋機関区に待機していたものでたまたま使用された。別に他のC62でもよかった。ただ、試験が行われる少し前に浜松工場へ入場し、油ポンプ関係を調整、助士席をとり代わりに鉄道技術研究所の精密な記録装置の付いた速度計と同じく記録装置の付いた振動、衝動計が設置されていた

(中略)

名古屋機関区を9:00出区、名古屋駅で局の平松氏が添乗、東海道本線を一路60~70km/hで運転、単機で一路木曽川駅へ向かった。木曽川駅では下り本線ホーム助役室付近に停車、ここで発車時刻まで待機。本線列車の間合いを縫って行ったため、運転回数は不規則であった。この木曽川駅から木曽川鉄橋までは上り勾配とわずかにカーブがあり、スピードを出す条件としては最悪であった。しかしそこはC62、その大馬力ボイラーにものをいわせ楽々120km/h運転を実現させた。
引用先:国鉄名古屋機関区蒸機と共に(書籍)

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熱くなった大型ボイラーから煙を吐き運転席の速度計を振り切って、狂った様な速さで木曽川橋梁を走り抜けている姿を想像すると、もう目頭が熱くなってしまいます。
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そしてミュージアム内のモニターに映し出されたC62 17の勇姿
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 興奮さめやらず帰りに木曽川橋梁に立ち寄ってしまいました(木曽川~岐阜)、たらればの話ですが、もしC62が1駅手前の尾張一宮駅から出発してしたら木曽川駅は100km超えで通過し、橋を渡る時にはとんでもない速度になっていた事でしょう。
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新木曽川大橋(国道22号)から撮影、木曽川橋梁は上り線用と下り線用が別々にある橋で現在の橋梁は2代目、下り線は1958(昭和33)老朽化のため別線として架橋、上り線は1971(昭和46)老朽化のため別線として架橋。
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ここで当時の風景を想像しながら列車が通過するのを待ち構えておりましたが、なかなかやって来ません…早くしないと日が暮れてしまう(`Д´)ノ
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ようやく橋を通過する東海道線を撮影出来たのですが、夕日のせいで何を撮っているのか全然分かりません。。
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あぁ…もう日が暮れてしまう(ToT)
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そして夜になったら熱くなった小型ボイラーを両手で押さえ、狂った様な速さで岐阜駅前を走り抜け金津園に向かう僕(;´Д`)ハァハァ
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