だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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【鉢形城跡】真田丸も参戦した歴史ある場所は寄居駅から南へ1km

「ハチ」と言う時に「ハキ」になってしまうクラスメイトをからかったりしてた子供の頃から性格の悪い僕。
タ行やカ行で口の左右から空気や唾が漏れた様な発音は、舌の位置の間違いや筋力不足が原因で、成人になるにつれ自然治癒する事が多いですが、側音化構音障害の可能性もあり、そのまま持ち越しで成人になってしまう事もあるそうです。
秋の休日に今更ながらそんな事を調べて向かった先は埼玉県寄居町にある鉢形(はちがた)城跡。
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た行の「t」は破裂音で強く発音することが効果的ですが「ち」と「つ」は強すぎるとノイズが入りやすいので少しだけ小さく発音しましょう。

〈目次〉

鉢形城跡へのアクセスは公園を通り過ぎて徒歩25分

鉢形城跡は寄居駅から南へ1kmほどの場所にあり、敷地が兜の鉢の形に似ていたことから鉢形城と名付けられ、それが地名や駅名として今に残っています。鉢形城の名前を冠した鉢形駅からのアクセスも可能ですが、駅から一直線の道でコンビニに立ち寄ったり川を渡ったりする寄居ルートがおすすめ。
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寄居駅発の東秩父村営バス「和紙の里」行きに乗り「鉢形城歴史館前」バス停下車徒歩10分のルートもありますが、平日1日6本の少ない本数なので歩いて行った方がイイでしょう。
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ちなみに寄居の名前は、鉢形城が落城した後に甲州や小田原の浪士などが集って居住したのが由来と伝わっております。
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川を越えると店が無いので川の手前にあるコンビニで飲み物を調達しました
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埼玉県の心霊スポットとして有名な正喜橋(しょうきはし)橋の中央に女性の霊が佇むのが数多く目撃されているとの事((((;゚Д゚))))ブルブル
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橋を渡り終えて右手に見えるのが鉢形城跡の石碑がありますが、ここら辺はただの公園で城跡はもう少し先です。
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ぶっちゃけ鉢形城跡の見どころは赤枠内位で、他はただの公園や造成地みたいな場所ばかり…ここでいにしえの城の堀や土塁を想像できる人はかなりの歴史通、ちなみに曲輪とは城の内外を土塁や堀などで区画した名称です。
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鉢形城跡へ向かうメイン通り(?)は歩道がとても狭く危ないので公園内のあぜ道(?)通って行くのがオススメ。
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鉢形城は荒川の絶崖上にあり南には深沢川が流れる自然の要害をなしている堅城で、室町時代に関東管領を努めた山内上杉氏の家臣であった長尾景春が築城したと伝えられております。
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戦国時代にはこの地方の豪族が、相模国を本拠地とする北条氏康の息子氏邦を城主に迎え入れて、北条氏の支配体制となった鉢形城。
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小田原城の支城として甲斐から秩父盆地を抜けて侵入してくる武田信玄氏や、越後から三国峠を越えて侵入してくる上杉謙信を防ぐ小田原城の支城としての役割を担っていました。
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鉢形城の歴史 ~豊臣秀吉の小田原征伐にて落城~

重要スポットのY字路を左に行けば鉢形城跡で、左のあぜ道を進めば鉢形城歴史館。
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右手にある赤い鳥居が気になるので調べてみたら「城山稲荷神社」行ってみました
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こんなもんでした…夏場はやっぱりここら辺は蜂とかいるんですかね「ハキ~(゚◇゚)」
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鉢形城歴史館は入館料200円で撮影は不可、まぁ館内中央の地形模型の周りにパネル展示がある高校の文化祭っぽい展示内容。
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早々と歴史館を後にして、覇気が無くて先生から怒られてばかりいた学生時代を振り返りながら深沢川を渡ります「ハキ~(゚◇゚)」
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Y字路に戻り二の曲輪・三の曲輪のある場所は柵内、まぁ鉢形城の見どころはここだけ(´・ω・`)

歴史好きでないと「何のこっちゃ」となるハードルの高さを感じる鉢形城跡。
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1569年には武田信玄からの攻撃を受け、また1574年には上杉謙信からの攻撃も受けながらも耐え忍んだ堅城ですが
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1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原征伐において前田利家・真田昌幸・浅野長政・本多忠勝らを含む約6万の軍が鉢形城に押し寄せて攻撃、同じ時期に豊臣軍(石田三成)が攻めた忍城の約3倍の兵力でした。
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城兵わずか3千の北条軍は荒川の断崖絶壁の上に建つ地形を生かし籠城戦を行いましたが、当時最新兵器だった大砲を河原から打ち込まれて降伏。
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城兵の助命と引き換えに鉢形城を開城した北条氏邦は前田家にお預けとなり能登で没しました、城兵たちの多くは鉢形周辺や秩父地方で農民となったそうです。
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北条氏に替わって徳川家康が関東を治め、鉢形城は廃城となり100年以上続いた城の歴史に幕を閉じます。
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馬出(うまだし)とは城の出入口を守る為に兵士や馬を待機させ常に攻撃できる場所、大坂冬の陣で真田幸村が造った「真田丸」も馬出の範疇に入るでしょう。
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一見建築条件付の造成地みたいな場所ですが、真田丸ファンを始め歴史好きを魅力してやまない鉢形城跡なのです。
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三の曲輪の奥に鳥居があるので調べてみたら「諏訪神社」行ってみました
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落ち場の掃き掃除が良くなされた参道「ハキ~(゚◇゚)」
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帰り道は左手に公園を臨みながら歩道の狭い道を歩いてみました、門が閉ざしてあるこの場所はシルバー人材センター。
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 同じく門が閉ざしてあるこの場所は花木園「ハキ~(゚◇゚)」(正しい読み方は「かぼく」です)
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