「どこだったってイイじゃないですか!」
休憩時間に満ちゃん(あだ名・日雇い)は大変ご立腹、どうやら仕事中に皆から毛深い事をネタにされふてくされモード全開、お昼後はどこで作業するのか誰にも教えてくれません。
僕はご機嫌とりに「どこだったってイイじゃないですかツアー」を企画して休日に一緒に行こうと満ちゃんを誘いました。
ツアー内容は同乗者(満ちゃん)には行き先を一切伝えず遠くの駅まで行く電車旅、記念すべき第1弾は八高線に乗って高崎駅までを密かに考えておりましたが「行きたくない」と無愛想に返事するいじけモード全開の満ちゃん。
そんな彼を思い出しながら「ひとりどこだったってイイじゃないですかツアー」を敢行すべく八王子駅に降り立った僕。
「同乗者がいないとツアーは成立しないのでは?」そんな意見もありますが、あまり細かい事は気にしないで下さい(´・ω・`)
〈目次〉
ほぼ川越線状態な八高線南線(八王子~高麗川)の車両は209系・E231系
高崎行きの直通運転は無く殆どが川越行きの八高線「八王子~川越」を往復した方が便も良いでしょうし利用客もそれなりに多く効率的なのでしょう。
中央・総武線からの転用改造車である209系3500番台とE231系3000番台で運行しておりますがどっちも似た様な感じで僕にはさっぱり区別がつきません。
八高線は八王子を出発「どこだったってイイじゃないですか」とか言ってると川越線~埼京線ルートで都心に行ってしまいます。
八高線の開業は1931年(昭和6)八王子~東飯能間、当時は国防の観点から外周鉄道線で上信越地方の物資を都心を経由せずに東海道に輸送する軍事上の目的で敷設されました。
現在は電化区間の八王子~高麗川は実質川越線、高麗川~倉賀野(高崎)の非電化区間はローカル線丸出しと思いっきり分断状態。
八高線の事故
検索の関連キーワードに「八高線 事故」と出てくるので頻繁に事故がある路線なのかな?と思い調べてみたら、戦後立て続けに大きな事故を起こしておりました。
・1945年(昭和20)8月24日小宮駅と拝島駅間の多摩川鉄橋で列車が正面衝突(推定105人死亡)、当日は暴風雨でダイヤが大幅に乱れ駅間の連絡もうまくいかず小宮駅と拝島駅の両駅から上り下り両方を発車させてしまった事が衝突事故に繋った原因。
・1947年(昭和22)2月25日東飯能駅と高麗川駅間の急カーブを曲がり切れずに脱線、6両編成のうち3両が5m下に転落、鉄道史上最大規模の惨事となり死者は184人重軽傷者は570人。
・1947年(昭和22)7月14日米軍横田基地所属のA-26攻撃機が、2年前に正面衝突事故のあった多摩川鉄橋で、列車の上に墜落1両が鉄橋から河原に落下して4人死亡。
拝島駅横田基地専用線
JR八高線・五日市線・青梅線・西武拝島線の2社4路線が乗り入れている拝島駅ですがもうひとつ「どこだったってイイじゃないですか」とアメリカ軍の横田基地へと繋がる専用線があります。
勿論アメリカ軍所有の線路で、通常は水・木曜を中心に週2回ほど飛行機などの燃料を積載したタンク車が運行しますが、国際情勢が緊迫すると燃料の使用量が増え運転回数が多くなるとの事です。(写真は東福生駅)
国防の為に作られた路線ですが、今となっては車窓から見える景色は広大なアメリカ基地の八高線。
どこだったってイイじゃないですかと言わんばわりにアメリカ領(の近く)を走り抜けていく八高線「属国ですよ…」。
ちなみに満ちゃんは日雇い仕事を辞めてタイ式マッサージ店で働き、H.P.のスタッフ紹介欄には"趣味は合気道で囲碁も打てます"とタイとは全然関係ない和風なコメント。
そんな愛国心高い満ちゃんはタイ式に馴染めなかったのか2週間ほどで仕事を辞めてしまいます
その後中華料理店でバイトを始めまたもや和風とは外れた仕事を始めてしまいます
八高線は西武線と東武(東上)線の乗り換え駅がやたら多く写真は東飯能駅を出発した西武池袋線。
群馬県に近づくにつれて山が多くなるイメージを持つ人も多い八高線ですが、実際は電化区間の東飯能~高麗川周辺の丘陵地帯が一番山を感じる車窓。
そしてあの頃は外山君(仮名)がプラダのドアマンを目指し満ちゃんがプロのマッサージ師を目指し夢と希望に溢れる日雇い現場でした
八高線北線(高麗川~高崎)を走るキハ110系で駅は無人駅が殆ど
高麗川駅でE209にサヨサラをすれば向かいのホームで待っていたのがキハ110系気動車
都市近郊で唯一非電化路線の八高線(北線)はローカル度高め、高麗川で運行形態が分かれているイメージがあり、八王子と高麗川の頭文字だと思っている人もいる事でしょう(実際は八王子と高崎)。
八高線駅係員がいない無人駅
越生・明覚・竹沢・折原・用土・松久・児玉・丹荘・北藤岡
あれ?複線なの?と驚くかも知れませんがこれは東武越生線の線路です
小川町駅近くでは肌色列車の東武越生線と併走、これは1960年代~80年代に活躍した東武8000形のクリーム色列車を模した復刻版ラッピング列車、僕が小学校低学年の頃は東武(東上)線車両はこの色ばかりでした。
竹沢駅はかつては列車交換設備がありましたが2016年に廃止、1面1線のホームになり向かい側は廃ホーム、住民は東上線の東武竹沢駅を使った方が本数・アクセス共に利便性が良いのでしょう。
東武東上線は当初の計画では東京池袋から群馬渋川までを結ぶ予定でしたが、ルートが被る八高線の建設により寄居以北は中断となった過去があります。
荒川橋梁を渡り寄居駅に向かう場所は路線一番の撮影スポット、これから先はひたすら平野を走るシーンが続く八高線。
大型スーパーが閉店になり3社3線(八高線・東上線・秩父鉄道)乗り入れ駅の割には微妙に寂れている寄居駅。
満ちゃんはお寿司が大好き
ですが満ちゃんが行きつけだった近所の回転寿司屋が先月に閉店&取り壊しになってしまい更地となってしまいました。
次の店舗が入る可能性もあるし、わざわざ取り壊す事は無いのに…と僕は思っておりましたが
職場の噂好き「コウモリ(あだ名)」の話によると、常連の満ちゃんが店で女体盛りをしてSNSに投稿・拡散した為だと言い張っております。(写真は用土駅)
コウモリのエピソードはこちら
まぁ…そんなミソのついた物件は誰も後に入りたがりませんよね(写真は松久駅)
これからもずっと更地状態なのでしょうか?ついでに満ちゃんの家も最近は空き家状態、もしかしてSNS投稿が炎上してしまい、住んでいる場所に居られなくなったのかも知れません。
車窓は満ちゃんの毛深いお稲荷さんを彷彿とさせる景色
「どこだったってイイじゃないですか」そう言いながら夜逃げをした事でしょうか?ついでに八高線も神流川を渡って群馬県に入ります。
八高線は倉賀野駅が終点
またもや複線?と思いきやこちらは高崎線の線路、北藤岡から併走し実際の八高線の終点は倉賀野駅なのです。
更に細かく言えば物理的な線路は北藤岡駅から150mほど先(倉賀野寄り)の旧小野信号場で高崎線の線路と合流しており、八高線の列車は全てこの地点で高崎線の線路に乗り入れ、倉賀野を途中駅として高崎までの運行となります。
実際の運行は倉賀野駅を始発・終着とする列車は無いので、まぁ一般的な認識は隣駅の高崎駅が起終点ですね(・д・)
高崎駅向かう線路沿いは「ぐんま車両センター」で色々な車両が並ぶさながら鉄道博物館
「SLぐんまみなかみ・よこかわ」で使用される茶色い旧型客車
やっぱり満ちゃんは裸色の東上線旧型車両がやっぱり一番のお気に入り(・∀・)
満ちゃんの炎上騒動が落ち着いて快速列車で地元に戻ってくる日を心待ちにしております。
上信電鉄の車両が見えてきたら八高線の電車旅も終わりに近づき高崎駅に到着
八高線の発着する高崎駅3番線は2番線と4番線の間の奥にあり、場所が分かり辛くどこにあるの?と戸惑う乗客も多いホームでもあります。
満ちゃん「どこだったってイイじゃないですか(´・ω・`)」