「オレは一流の女性としか付き合わない」が職場の日雇いバイト「タイゾー(あだ名)」の口癖、日本を陰で操るフィクサーになって豪邸に住むのが夢みたいですが未だ志半ば、一等地の豪邸購入より先に彼女いない歴50年の肩書きを返上するのが先決問題だと思うのですが、彼の中では同時にプロジェクト計画は進行しているのでしょう。
そんなタイゾーを思い出しながら訪れた先は、1920~30年代頃に欧米の外交官や貿易商のために建てられた洋館がエリアに点在しており、現存は無料で見学できる「横浜山手西洋館」でした。
〈目次〉
所要時間3時間でまわる山手西洋館めぐり
休日は特に訪れる見学客も多い山手西洋館は全部をじっくりとまわるとなると半日以上かかります、今回はお昼過ぎからのショートコースで、元町・中華街寄りの西洋館めぐりを3時間の予定で敢行しました。
12:00 フランス山フランス領事館跡
スタート地点は地下鉄みなとみらい線「元町・中華街駅」5番出口
駅前にはアメリカ山公園とフランス山の2つがあってりやや混乱しますが、最初の目的地「イギリス館」に訪問するのであればフランス山コースからの方がスムーズ。
幕末に攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に軍隊の駐屯を決定、撤退するまでの約12年間この地で駐屯を続けフランス山と呼ばれるようになりました。
フランス軍撤退後の1896年(明治29)に領事館と領事官邸が完成、その後関東大震災により倒壊その後再建しますが、その官邸も戦後間もなく火災で焼失、現存している遺構はその際に焼け残った1階部分です。
かつて領事官邸には風車の付いた井戸があり、現在遺構の横に設置されている風車はかつてのフランス山を偲ぶモニュメント、そんな場所で風を読みながら一流の女性を探すタイゾー(´・ω・`)
そして港の見える丘公園に誘って愛を語り口説くのでしょう
ガーデンベアが「お前にゃ無理だ!」と言っている気がしてなりません(>_<)
12:20 横浜市イギリス館
イギリスもフランス同様に横浜の居留地防衛のため軍隊が駐屯その後撤退、跡地に英国総領事公邸として、1937年(昭和12)に建てられたのが現在の「横浜市イギリス館」
横浜山手西洋館の建物内の撮影については、フラッシュや三脚を使わずに、一定の場所に長い時間陣取らなければ、どの邸宅もバシバシ撮って大丈夫です。
船の丸窓をモチーフにした窓、昔はここから横浜港を見渡せたそうです。
母国とその土地の風土に合わせた建築の結合に特色がある「コロニアルスタイル」は植民地時代からのイギリスお得意の建築様式。
12:50 山手111番館
イギリス館の南側にあるスペイン調の洋館「山手111番館」は1926年(昭和元)に建設、現在はローズガーデン側から入る地階フロアは喫茶室として利用されています。
先日タイゾーは職場の女性が旦那さんと別居している事を知って自分の中で何かが溢れてしまったみたい(>_<)
本人にアプローチすればイイのに、周りの人達から情報収集しようとするから、噂に尾ひれが付いて広まってしまいあえなく玉砕。
そしてタイゾーの彼女いない歴は着々と記録更新中(´・ω・`)
港の見える丘公園地区の西洋館を後にして、元町公園地区に向かいます、途中に「山手十番館」という名のレストランがありますが、ココは戦後に建てられたレプリカ西洋館なので見ながら通り過ぎるだけで十分。
13:20 山手資料館
一方こちらは1909年(明治42)年建築と貴重な明治期の洋館ですが、本牧から移築してきた建物と知って何となく興ざめ。
ですが建物の中は居留地時代の山手や横浜の様子などが紹介されており興味津々
幕末にイギリスの画家で漫画家のチャールズ・ワーグマンが外国人居留者向けに執筆・出版していた雑誌「ジャパン・パンチ」のイラストは、幕末横浜の社会的背景を反映した風刺画。
ちなみにタイゾーはモンキーパンチ原作「ルパン三世」の峰不二子に(;´Д`)ハァハァ‥そして本人はモンキー顔。
13:40 山手234番館
昭和の初め頃に外国人向けの共同住宅として建てられた「山手234番館」は関東大震災の復興事業の一つで、震災により横浜を離れていった外国人に戻ってもらうために建設された経緯があります。
1階は再現された居間や山手234番館の歴史についてのパネル展示、2階は貸しスペースとして、ギャラリーや会議等に利用されております。
14:00 エリスマン邸
緑と白のコントラストが美しい「エリスマン邸」は元々現在地より南東に400mほどの位置にあり、元町公園には1990年(平成2)に移築復元された僕的にはガッカリ物件ですが、山手西洋館内では見学客も多く人気の場所。
1階厨房部分はカフェとして、地下ホールは貸しスペースとして利用されております。
エリスマン邸は直線的な形で水平のラインが際立つ空間で簡素な中に無駄が無い空間
当時の建築は装飾や外形にこだわることが多かった中、住む人の生活を第一に考えたデザインは、近代建築の父といわれるアントニン・レーモンドが手がけ、椅子やテーブルなどの家具も彼が設計したものです。
14:30 「ベーリックホール」は見どころと撮影スポットがたくさん
現存する山手西洋館の中では最大規模でハイライトの「ベーリックホール」は1930年(昭和5)建築、設計は山手111番館も手がけたJ.H.モーガンで、スペイン調の外観と多彩な装飾に目を惹かれます。
西洋館の中で一番テンションがあがる撮影スポットのベーリックホールはタイゾーの夢がつまった邸宅。食堂でゴージャスな食事をして
パームルームで愛を語らい
大広間で愛する女性とダンスを踊り
そして2階でベットイン
テディベアが「お前にゃ無理だ!」と言っている気がしてなりません(>_<)
15:00にベーリックホールを出て所要時間3時間で6つの邸宅を周りました。
その他の山手西洋館
もっと時間をかけて山手西洋館をコンプリートしたい方は、更に石川町方面に進みながら横浜山手テニス発祥記念館に行き
館内展示の往年のラケットを見て楽しみ
旧山手68番館に行き
ただのテニスコートの受付状態にショボンとして
イタリア山庭園(外交官の家・ブラフ18番館)に行けば半日以上のコースになる事でしょう。
イタリア山公園の記事はこちら
途中にレトロっぽい建物のフェリス女学院中学・高校校舎がありますが、ココは勿論立ち入り禁止。オヤジの場合は近くでニヤニヤしているだけでも不審がられますので気をつけましょう。
タイゾー「オレは十代の女性しか相手にしない (;´Д`)ハァハァ」