千葉県に訪れるとかつて通っていた日雇い現場と常連バイトの「バンダナ(あだ名)」頭にきっちりと巻いたバンダナの後頭部から見える長い髪の毛は、ロックな雰囲気を醸し出しておりますが、誰もバンダナを外した彼の頭頂部を見た者はおりません。
画像引用先:にこにこぷん ぽろり | Reirei Paint Art Museum | MUUSEO 703781
何事も否定から入り特に人気飲食店には「あんな店なんて大したことねぇーよ」と手厳しいバンダナですが「みりんって何だっけ?」と言っており食べ物にはそんなに詳しくないみたい。。
そんなバンダナを思い出しながら訪れた先は、もともと流山名産の白みりんを運ぶ町民鉄道として誕生し、現在では都心から最も近いローカル線として有名(?)な流鉄流山線「馬橋駅」なのでした。
〈目次〉
つくばエクスプレス(TX)に押され赤字経営の流鉄流山線
総延長は5.7kmで6駅と短く路線で、つくばエクスプレス(TX)や路線バス(他社)が開業した影響もあって、利用者数は2022度で49%減少(TX開業前の2004年度比)と、慢性的な赤字体質に陥っております。
路線にこれといった観光地も無く、秩父鉄道(埼玉県)みたいに貨物輸送も無く、関東鉄道(茨城県)みたいにバス・タクシー事業もおこなって無く、鉄道事業のみが収益源である事に加え、どこの企業の系列でも無い独立会社と無い無いづくしの流鉄株式会社(流山線)。
何事も否定から入るバンダナだったら「廃線だよ廃線!」と傲慢な発言をするでしょうが、流山線なりの魅力は色々とあると思って1日乗車券(500円)を購入。
馬橋~流山の往復料金は440円、1日乗車券で往復して1回でも途中下車すれば元を取ることができます、駅数も少ないので全駅途中下車コンプリートも簡単にできる流山線。
流山線の魅力のひとつはTXと違ってJR常磐線への乗り換え可能な事、起点の馬橋駅と次の駅はそれぞれ常磐線の駅と隣接しているのです。
魅力①実質的は新松戸駅の幸谷駅
馬橋駅の隣にある幸谷駅はマンションの1階にある珍しい駅舎であると共に、JR常磐線・武蔵野線の新松戸駅の乗り換えが可能です。
ちなみに「幸谷駅」の住所は松戸市新松戸で「新松戸駅」の住所は松戸市幸谷と逆転現象が起きている両駅。
新松戸駅に改称すれば知名度が上がり利用者も多くなるのでは…と素人目ながら考えてしまいすが、鉄道むすめキャラクターの「幸谷なのは」を推している事から駅名を変えるつもりはさらさら無いのでしょう。
魅力②流鉄流山線の車両
小金城趾駅は流山線で唯一交換可能な駅で、早朝・深夜の一部列車を除く全ての列車がこの駅で列車交換を行っております。
車両は全て西武鉄道からの譲渡で「あかぎ(赤)」「なの花(黄)」「若葉(緑)」「さくら(桃)」「流星(橙)」の5種類、現在あかぎには「幸谷なのは」のヘッドマークが付けられております。
終点流山駅の奥にある検車区で佇む流星号、どうやら今日はお休みみたいです。
ちなみにバンダナ(日雇い)は緑のバンダナがお気に入り(・д・)
魅力③都心近くのローカル度を満喫できる流山線
小金城趾駅から幸谷方面を臨むとこの小高い丘の上にそびえ立つマンション、ここら辺が小金城の城郭だったそうです。高城氏の居城であった小金城は自然地形を巧みに利用した大規模な城郭でしたが、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、北条方に加わったため小金城も秀吉方の軍に攻められて落城しました。
大谷口神明神社は1537年(天文6)に高城胤吉が小金城内に鎮守として創建した由緒ある神社、こんな所に城を造りたくなってしまう昔の人々の気持ちが良くわかる場所でバンダナも夢は一国一城の主。
そしてお城の中ではバンダナがポロリ
隣駅の「鰭ヶ崎(ひれがさき)」名前の由来は平安時代の伝説にまで遡る由緒ある駅名ですが、今となっては徒歩6分程度の場所にJRとTXの「南流山駅」があり、地域住民も南流山経由でのアクセスが多く流鉄6駅中最下位の乗降者数。
ちなみに「ギョクやコハダは職人のウデが分かる」と要らぬ蘊蓄をたれながら、寿司通を気取るバンダナは魚編の湯呑みがお気に入り。
魅力④歴史ある味醂発祥の地「流山」
隣駅の平和台から流山にかけての江戸川沿いに位置する流山本町と呼ばれる地域は「流山本町江戸回廊」と呼ばれており、18世紀頃より江戸川の水運やみりん醸造業で栄えました。
その面影は今も残っており神社仏閣をはじめ19世紀の建築物や老舗店、土蔵などが点在しています。
流山駅前の流山本町江戸回廊マップ
観光案内所はありませんが、駅改札脇に流山観光協会のパンフレットが置いてある事もあり流山から平和台へ向かうコースがオススメです。
まず最初に行きたいのは江戸回廊から外れた場所にありますが、市役所近くにある流山市立博物館、図書館と建物を共有しており入館無料ながらも充実した施設。
古代遺跡から始まり味醂や戦前にあった軽便鉄道や軍事施設についての展示、更には戦後の宅地開発関連の展示と流山市の歴史を網羅しております。
高瀬船はみりんや米などを乗せて江戸川を行き来しており、この流山みりんの二大ブランドが「天晴」と「万上」なのです。
江戸時代中期までのみりんはあまり精米されていないもち米を使った赤みりんで、清酒と同じ飲み物として楽しまれておりましたが、1814年(文化11)流山で酒造業を営んでいた堀切紋次郎がしっかりと精米されたもち米を使った白みりんを開発、美しく透き通り上品な甘みと旨みを持つ新しい「万上みりん」が誕生し、現在の「マンジョウ 本みりん」へと進化していきました。
江戸川は今も昔の面影を留めながらゆったりと流れており、そのほとりにあるのが流山キッコーマン株式会社、万上みりんは「マンジョウ本みりん」へと進化を遂げ現在も受け継がれております。工場内部の見学はできませんが、工場の壁面に描かれた「流山本町まちなかミュージアム」で白みりんの歴史をチラリと眺めるぶことができます。
みりんの事を知った途端「料理酒と砂糖で味付けなんて邪道だよ」と知ったか発言するバンダナ。
幕末期に新政府軍に包囲され新撰組隊長の近藤勇が出頭し、盟友土方歳三と今生の別れの地となった「近藤勇陣屋跡」は現在工事中、その隣にある秋元酒店は日曜日の為に定休日。
株式会社秋元 - 千葉県流山市の美味しいものを取り揃えております。
もう1つのブランド「天晴みりん」の発祥の地は、キッコーマン流山工場からほど近くにある「一茶双樹記念館」
この一帯は天晴・万上という流山白みりん2大ブランドの1つ、「天晴みりん」を開発した秋元本家の工場跡地です。「天晴みりん」を開発した五代目三左衛門は、小林一茶と交流し、その活動を支えたことでも知られており、家業のかたわら俳句もた しなみ、俳号を双樹としました。交流を記念して、秋元本家の場所に一茶双樹記念館を開館しました。
美しい庭園見える和室で一句詠んでみました
「バンダナや日銭に惹かれ日雇い現場」
部屋の中ではバンダナがポロリ(>_<)