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「東急多摩川線」の東急池上線直通五反田行きは平日朝3本・土休日早朝1本と夜1本

毎度職場で粗相をやらかしてお騒がせネタを振り撒いている鉄道好きの日雇いアルバイトK田君(略名)、実は彼は東急鉄道の実質的な創業者である「五島慶太」の生まれ変わりなのではないか?という噂があります。

鉄道に情熱を傾け強引な買収と吸収合併で競合企業と激しい覇権争いを繰り広げた五島慶太、一方電車に乗るのが大好きで激しく汗を垂らしながら働く派遣アルバイトのK田君。
真逆の生き方でありながらも一応の共通点もある2人を思い出しながら降り立った駅は、東急東横線・東急目黒線・東急多摩川線が乗り入れている「多摩川駅」なのでした。
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〈目次〉

数少ない多摩川線の池上線直通五反田行き

東京急行電鉄(東急)の歴史は、1918年(大正7)に都心郊外の理想的な住宅「田園都市(現在の洗足・田園調布地域)」の開発を目的に設立した田園都市株式会社を元に、その鉄道部門として子会社分離した「目黒蒲田電鉄株式会社」を源流に持ちます。
会社名の通り目黒と蒲田を結んだ「目蒲線」は五島慶太が初めて手掛けた由緒ある路線でしたが、現在の目黒~多摩川間は「東急目黒線」多摩川~蒲田間は「東急多摩川線」と路線名が変わり分割されてしまいました。
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地下鉄との相互直通運転や東横線との併走(多摩川~日吉)の延伸もあり都心直通の基幹路線となった目黒線に対して、需要低下を見込んで3両編成の短距離独立運行となった多摩川線ですが、池上線と車両を共通化する事が可能になりごく僅かですが蒲田駅でスイッチバックして池上線に直通する列車もあるのです。
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東急多摩川線「多摩川駅発」東急池上線直通五反田行き
平日【8:46・9:06・9:15】
土休日【5:19・18:02】
上記が数少ない池上線の五反田行き直通列車、時刻表の平日夕方に数本ある凡例【ゆ】は池上線直通の途中駅で車両検車区のある雪が谷大塚行き。
f:id:earth720105:20250829054624j:image多摩川駅(構内図・時刻表)|東急・東急電鉄公式サイト

ちなみにK田君を五島慶太の生まれ変わりだと言い出したのは、お店でのスイッチバックが大好きで、彼女いない歴52年のタイゾーです(´・ω・`)

折り返す池上線直通五反田行きは蒲田駅2番線ホームでスイッチバック

多摩川線ホームにやって来たのは1000系のラッピングトレイン「いけたまハッピートレイン」そして前面の電光掲示の行先表示器には堂々と池上線直通の文字。
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多摩川駅から蒲田駅までは全長わずか5.6kmで所要時間も10分程度の短い距離、東急大井町線の等々力駅ほどでは無いにせよ、やや難読駅名の「鵜の木(うのき)」。
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「矢口渡(やぐちのわたし)」もそれなりの難読駅名(`Д´)ノワカヤマエーホ
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矢口渡を出発すると運転手が池上線に直通する旨の車内アナウンス
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車内の電光行先表示も池上線直通に
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そして終点の蒲田駅前で右側の線路を走行していた多摩川線は、グッと左側の線路に移り池上線の2番線ホームへと入線していくのです。
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蒲田駅は乗降客が移動する通路の横に車止めがある頭端式ホーム5面4線の高架駅、多摩川線が池上線2番線ホームに入るのはかなり稀な事で、運転手も緊張が走る瞬間でもある事でしょう。
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ちなみにK田君は先日2番目の場所で箱詰め作業を行っておりましたが、ダンボールに貼るシールを破りまくり「ダメダメです~」と叫び声をあげておりました(´・ω・`)
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続いて9:06多摩川駅発の池上線直通列車が蒲田駅2番線ホームに入線、昭和の頃に活躍した3000系を模した1000系ラッピング列車「緑の列車」は蒲田駅に停車後、進行方向を変えて五反田駅へ向かいます。
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かつて東急電鉄が使用していた英語の正式略称「Tokyo Kyuko Kabushiki Kaisha」の頭文字を取った「T.K.K.」表記が車体に復活しましたが、僕には【(T)タイゾーと(K)K田君は(K)彼女いない歴50年以上】の略に見えて仕方ありません。
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続いて9:15多摩川駅発の池上線直通列車7000系が2番線ホームに入線します、多摩川線・池上線共に東横線のお古である1000系車両が主力の為に在籍車両数は両路線を合わせて15本とやや少なめ。
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現在では仲良く車両を共有している多摩川線と池上線ですが、かつては田園都市地区にてシェア争いを繰り広げたライバル路線だったのです。
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ほとんど同じ所を走る多摩川線(目黒線)と池上線

実は多摩川線及び目黒線と池上線がほとんど同じ所を走っており、路線図で見てもほぼ全線で並行し、最も離れている田園調布駅と石川台駅のでも1.5km程度しか離れておりません。
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池上電気鉄道株式会社は池上本門寺への参詣客の需要に応え1922年(大正11)「蒲田~池上間」を開業、ですが五島慶太率いる目黒蒲田電鉄株式会社も1923年(大正12)3月に「目黒~丸子(現:沼部)」間を開業、更に同年11月には早くも蒲田まで延伸して、目蒲線は池上線を追い抜いて国鉄の両駅を結んでしまいました。
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後手に回った池上線は延伸するターミナル駅を目黒から五反田に変更し1928年(昭和3)に「蒲田~五反田間」を全通、同時に雪ヶ谷から西へ分岐し、中央線の国分寺駅まで至る壮大なルートの路線免許を取得「雪ヶ谷~新奥沢間」の約1.5kmを開業して目蒲線に対抗。
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この事業計画に対して五島慶太は自社の開発地を侵すものとして激怒、国分寺延伸計画を阻止して池上電気鉄道を買収して、分岐ルートの新奥沢線を廃止に追い込みます(写真は雪が谷検車区)。
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その後も五島慶太はM&A(買収・合併)を積極的に進めて目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄を合併、五島慶太が最も情熱を傾けた東急東横線が1927年(昭和2)に開業します。
一方のK田君はM&F(マウンテン&フィールド)で汗びっちょり(´・ω・`)
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五島慶太のルーツともいえる「洗足田園都市」計画の中心となった洗足、元々この地域は北千束と呼ばれていましたが、住宅地開発にあたりイメージの良い「洗足」という名前を強調しました。
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かつて日蓮聖人が足を洗ったという伝承がある洗足池「K田君はちゃんと足を洗っているのでしょうかね?」(´・ω・`)クサー
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