だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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「吉原神社」の飛び地境内にある「吉原弁財天」は関東大震災で多くの犠牲者が出た怖いスポット

職場の日雇いアルバイト「満男(みつを・仮名)」は風俗店が大好き(・∀・)
僕はてっきり西川口あたりの激安店に足しげく通っているのかと思って「どこらへんの店に行くの?」と聞いてみたところ、意外にも成人男性のテーマパーク東京都台東区の「吉原」によく行ってるみたいです。
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江戸時代から続く歴史的な遊郭で歴史や文化があり、多くの文学作品や芸術作品に登場する吉原、そんな花街に大きな思い入れがあるであろう花魁好きの満男。
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そんな満男が入店前に必ず参拝する吉原神社と吉原弁財天に本日訪れながらも、お店は素通りするビンボーな僕の吉原初訪問。
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〈目次〉

三ノ輪から徒歩で行く何度も炎上する怖い吉原神社

吉原遊郭は1656年(明暦2)に江戸幕府が人形町から吉原への遊郭の移転を命じたのが発祥、当時江戸の外れに位置していた吉原は遊郭と日常生活圏を分離することで、社会的な影響を最小限に抑えようとする意図がありました。
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現在でも東京23区内ながらも最寄り駅の東京メトロ「三ノ輪駅」から徒歩で12分とやや遠め、バスやタクシー(送迎車)を利用する人達が圧倒的多数ですが
f:id:earth720105:20240609235922j:imageイラスト引用先:【行き方】 吉原とはどんな場所?吉原遊郭の跡地を散歩 - 東京生活.com

東京さくらトラム(都電荒川線)の「三ノ輪橋」から徒歩で吉原へ向かうのが満男スタイル
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関東の駅百選認定駅でもある三ノ輪橋駅にあるレトロ看板、ちなみに満男は亀の子だわしがお気に入り
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三ノ輪橋から吉原大門までは徒歩で約15分程度ですが、商店街出口近くの大通りに面した立ち食いそば屋に寄ってからの吉原行きが満男スタイル。
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天ぷらそばに生玉子入れ(450円)が満男のお気に入りメニュー、醤油味のかえしの効いた汁をすすりながら、今日もお気に入りの店で裏をかえすのです。
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東京メトロ「三ノ輪駅」の出入口を通り過ぎ土手通りを東京スカイツリーを目印に浅草方面に歩きます、いつもここら辺で真ん中の足をスカイツリーばりに大きくして歩いているであろう満男。
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吉原大門交差点で右に曲がるのが一般的ですが、少し手前で曲がり吉原公園を横切って行くのが満男スタイル。
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公園を通り過ぎる頃にはエンジン全開
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現在では棒が立っているだけの吉原大門、かつてはちゃんとした門がありましたが関東大震災時に崩壊、かつての吉原遊郭出入口は治安目的や遊女たちの逃亡を防ぐため大門1箇所のみで、治安目的や遊女たちの逃亡を防ぐ為に遊郭の周囲には塀が張り巡らされ、さらにその外には「お歯黒どぶ」と呼ばれる5m以上も幅がある堀がありました。
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そんな閉じられた空間である吉原遊郭は江戸の大火から関東大震災・東京大空襲と幾度となく壊滅に瀕して多くの遊女が亡くなっております、こんな狭い範囲で多くの人が亡くなってるのが「吉原は怖い」と言われている所以。
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そんな吉原を現在でも見守っている吉原神社は歓楽街から少しだけ外れた住宅地の中にひっそりと佇んでおります。
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本当に怖い場所はかつて新吉原花園池があった「吉原弁財天」

元々は吉原遊郭に存在した5つの稲荷社を1872年(明治5)合祀して吉原神社と名付けられました、当時は遊女達の信仰も集めていた神社に想いを馳せて店に突撃する前に参拝する満男。
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​関東大震災で焼け落ちてしまった吉原神社は、仮社殿を経て現在の場所に新社殿が作られましたが、その社殿も東京大空襲でまたもや焼け落ちてしまいます。吉原炎上は五社英雄監督の映画タイトルですが本当によく燃える場所ですね(´・ω・`)
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満男もネット上で痛いカキコミをして度々炎上しているのでしょう…炎上は他人事とは思えずに社殿で参拝する満男。
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お穴様の地中には神社の土地をお守りする神様がおり、心をこめてお詣りすると必ず福が得られると言い伝えがあります。これから入るお穴様の事で頭が一杯になりながらもここでも手を合わせる満男。
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吉原神社は縁結びの神様でもあります、店の女の子と仲良くなって水揚げできる様にとお願いをして境内を後にする満男。
注:水揚げとは客がお金の力で風俗で働く女の子を引退させる事
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「吉原神社 怖い」のキーワードで誤解する方々も多いかもですが、本当に怖いのは吉原神社かから100mほど先の場所にある飛び地境内にある吉原弁財天
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吉原神社と合祀したので独立した神社ではありませんが、現在も鎮魂碑等多くの遺構を残しております。
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江戸時代初期までこの付近は湿地帯で多くの池が点在しておりました遊郭が移転して造成の際に湿地の一部を埋め立てましたが、池の一部は残りいつしか弁天祠が祀られて信仰を集める様になりました。
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1923年(大正12)に発生した関東大震災で火災から逃げようとした遊女達ですが四方を囲まれた逃げ場の無い場所だった事もあり、廓内にあった新吉原花園池(弁天池)に飛び込み490名が死亡する悲劇がおこります。下写真は犠牲となった遊女達を供養する為に1926年(大正15)に建てられた吉原観音像。
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これだけ多くの人が狭い範囲で亡くなった事例は日本でもかなり珍しい都内有数の怖い心霊スポットの弁天池、1959年(昭和34)吉原電話局(現在のNTT吉原ビル)の建設に伴う埋立工事で現在はかなり小規模になりながらも残っております。
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吉原弁財天の境内は地蔵や石碑が並ぶ石畳の道で昼間でも薄暗くひんやりとした雰囲気
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吉原弁財天は若くして亡くなった遊女達に手を合わせたくなる場所、そして満男は若い遊女とお手合わせをしたいオジサン。
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池の鯉を眺めながら恋する店の女の子を水揚げしたいと願う満男ですが、日雇いバイトの資金では通うだけで精一杯。
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「嬢に魂抜かれるのは一瞬  嬢との恋愛に悩むのは無限」なのです
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満男「オレのロケットワイフになってくれよ!」
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吉原神社
住所:東京都台東区千束3-20-2
電話:03-3872-5966
URL:http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai00.html