だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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泉岳寺は忠臣蔵の聖地 ~なぜ赤穂浪士は吉良邸に討ち入りしたの?~

「今夜は赤穂浪士が討ち入りの日だから」と言って12月14日の残業を断った日雇いバイトで忠臣蔵ファンの梅ちゃん(あだ名)
僕の印象だと赤穂浪士というよりは討ち取られた側の吉良上野介なんですけどね…梅ちゃんは(´・ω・`)
そんな気持ちで訪れた先は赤穂浪士(四十七士)の墓がある東京都港区の泉岳寺なのでした。
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〈目次〉

赤穂浪士(忠臣蔵)と泉岳寺

元禄時代に当時の社会を大きく揺るがし語り継がれ、今まで数多くの映画やドラマ・舞台にもなっている「忠臣蔵」は、赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に刃傷に及んだ事をきっかけに、主君の仇を討つ為に赤穂浪士が吉良邸に討ち入り吉良上野介を殺害した「赤穂事件」が題材となっております。
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~赤穂事件(忠臣蔵)を軽くまとめ~
①以前から確執のあった浅野内匠頭と将軍の側近である吉良上野介、江戸城松の廊下で浅野は吉良の嘲笑に激怒し小刀で斬りかかり吉良は負傷。
②この諍いは将軍の徳川綱吉に伝わり浅野は切腹、遺体は菩提寺の泉岳寺(高輪)に埋葬。更に赤穂藩家臣には改易(身分剥奪・領地没収)、しかし一方の吉良には何のお咎めもない依怙贔屓処分。
③城の明け渡しを巡って藩内では開城・切腹・抵抗などの議論があったが、筆頭家老の大石内蔵助は皆をまとめ、弟の浅野長広を主とする御家再興を至上命題として穏便に城を開城。
④しかし後日浅野長広の本家預けが決定した事で御家再興の望みは完全に消滅、大石内蔵助を始めとする浪士は吉良邸討入りを決意。
⑤1702年(元禄15)12月14日47人の赤穂浪士は本所松坂町(両国)の吉良邸に討ち入りを敢行、激闘の末に吉良が小屋に潜んでいたのを発見し斬殺。
⑥赤穂浪士(四十七士)は吉良邸から泉岳寺まで移動、そして吉良の首を墓前に供え亡君に報告、そして幕府が下した処分は全員切腹。

泉岳寺境内にある「浅野長矩墓および赤穂義士墓」は国の史跡で、浅野内匠頭(長矩)とその妻瑤泉院の墓の他に討ち入りした四十七士の墓塔が並んでおります。
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外国人も多い忠臣蔵の聖地「泉岳寺」

泉岳寺は1612年(慶長17)徳川家康が幼年期に身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に創建しましたが、寛永の大火によって寺は焼失。3代将軍徳川家光の命により現在の高輪の地に移転再建、この際に浅野家が尽力して完成した縁で浅野家の菩提寺となり、江戸城で刀を抜き切腹の処分になった浅野内匠頭の墓がある寺になった経緯があります。
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職場でいがみ合っていた梅ちゃんとゴーヒーの確執は先日ゴーヒーの永久追放という形で結末を迎えました…人間関係パワーゲームに勝利したと得意満面な梅ちゃん。キレやすい浅野内匠頭はゴーヒーで、物語では意地悪で腹黒い役柄の吉良上野介はやっぱり梅ちゃん(・∀・)
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ですがゴーヒーの追放と入れ替わる様に職場の諍いで来なくなった週一君が久々に復帰、彼が大石内蔵助となって梅ちゃんの首を狙っているかも知れません。
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絵が好きで芸術家肌ですが、夏場にはシャツの第2ボタンを外し職場に登場するワイルドな一面も併せ持っている週一君。
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忠義や義理人情・武士道精神を象徴する日本を代表する歴史的事件で海外でもファンの多い忠臣蔵、その聖地でもある泉岳寺には多くの外国人参拝客が訪問しております。
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本堂を撮影していたら週一君に似たワイルドな外国人が写真に入り込んできます(´・ω・`)
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赤穂四十七士の墓のある泉岳寺 ~何故赤穂事件(忠臣蔵)は起きたのか~

墓所階段前にある首洗い井戸は、赤穂浪士が運んできた吉良上野介の首を洗ったとされている場所、ゴーヒーの無念を晴らすべく戻って来た週一君も梅ちゃんに対して「首を洗って待ってろよ」という気持ちでいるのかも知れません。
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墓所の入口には線香が300円で売っております、購入しなければ入る事は出来ない入館料扱いの線香。
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線香を片手で持っての写真撮影がとても面倒くさい(´・ω・`)
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主君への忠義として語られる事の多い忠臣蔵ですが、僕は行き場が無くなってしまった浪士達が武士としての面子を守る行為であったのではないかと思います。(写真は浅野内匠頭の墓)
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討ち入りに参加する旧藩士達が家族に送る手紙にも(討ち入りは)主君の仇を討つためだと書いている者は少なく「武士としてここは引く訳にはいかない」「ここで逃げたら周りに示しがつかない」として討ち入りに参加するのだと書いていたみたいです。(写真は妻瑤泉院の墓)
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浪人の身分で挫けて一生を終えるより武士としての道を行き華々しく散りたい、仇討ちという言葉はお上(幕府)に対する大義名分で形に過ぎなかったのではないでしょうか?(写真は大石内蔵助の墓)
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そして当時の封建社会において、お上(将軍)に対して「あなたの裁きは間違っている」と主張した点が、一般大衆から支持された理由のひとつではないかと思います。(写真は大石内蔵助長男の墓)
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行き場の無くなったゴーヒーがさし違える覚悟で梅ちゃんに向かって来たらどうなるのでしょうか??
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所詮は皆さん日雇い(浪人)なのです
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そして胸元をはだけたワイルドな週一君を彷彿とさせる外国人
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本日は暖かいとは言え12月16日(´・ω・`)
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休憩所で梅ちゃんの家に討ち入りする計画を立てているゴーヒーと週一君(ノД`)
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泉岳寺
住所:東京都港区高輪2-11-1
電話:03-3441-5560
H.P.:https://sengakuji.or.jp/index.html
開閉門時間: 通年 7:00~17:00