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丹那トンネル(熱海~函南)工事を描いた小説「闇を裂く道」をネタバレ状態で読みながら殉職者慰霊碑を訪問

JR東海は品川から名古屋までのリニア中央新幹線の2027年開業を目指していますが、静岡県は南アルプストンネルの工事によって大量の湧水が発生し、大井川の水量が減少することを懸念して未だ工事の着工に合意しておりません 。
工事の難航具合(まだ着工前ですが)と湧水問題は同じ静岡県にある東海道線「熱海~函南」の丹那トンネルと重ね合わせてしまうのは僕だけではない筈です。
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丹那トンネル ~1934年(昭和9年)開通・総延長7804m~

険しい断層地帯を掘削した結果、土塊の崩落や凄まじい湧水に阻まれ、多くの人命を失う難工事となってしまった東海道線の丹那トンネル。
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丹那隧道工事史料の収集と分析に基づいた精緻かつ客観的な記述、自然に対する畏敬の念とその自然に対して果敢に立ち向かった工事関係者の姿が読む者を惹きつける長篇小説「闇を裂く道」を読みながら熱海・函南の2箇所にある殉職者慰霊碑を訪れた次第です。

〈目次〉

熱海梅園の近くにある丹那トンネル慰霊碑

東海道線は東西を結ぶ大動脈として日本の発展をうながす原動力となりましたが路線としては問題点も多く、特に「国府津~沼津」間は富士山周辺の急な勾配が続く難所で、列車の長編成が出来ない事や補助機関車が必要などの支障が生じる路線輸送上最大のボトルネックとなっておりました。
短絡ルートは国府津~沼津の箱根線を通らずに、海岸沿いに熱海を経由して三島・沼津方面につなぐことでした。しかし問題があります「熱海〜函南」間には丹那盆地の下を通す必要があり、相当長いトンネル建設が必要だったのです。
f:id:earth720105:20240414173920j:imageイラスト引用先:東海道本線だった時代の御殿場線

トンネルは熱海・三島両方面から中心に向かって掘り進む計画となり、熱海口を鉄道省そして三島口を鹿島組が請け負う事に決定、まずは熱海梅園の近くにある坑口から掘削が始まります。

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その場をはなれたかれは、手拭いで顔や首筋をぬぐいながら、腕時計に視線を落とした。針は四時四十分をさし、沼津から国府津まで二時間半以上かかったことをしめしていた。熱海線が開通すれば、各駅停車の普通列車でもその区間を一時間程度で通過するはずで、急行列車ならさらに時間は短縮される。
かれは、海の輝きに眼をむけながら、 熱海線の開通が、東海道線を名実ともに日本の大動脈とさせるのだ、と思った。

(吉村昭著「闇を裂く道」より引用)

第一章で描かれた工事関係者の希望は、物語が進むにつれ様々な問題に直面していきます
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現在トンネル入口上にはこの工事で亡くなった殉職者に捧ぐ慰霊碑があります、16年におよぶ難工事は6件の事故と重傷者610名・死者67名の犠牲者を出してしまいました。
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慰霊碑(トンネル入口)は熱海が最寄り駅と思いがちですが、JR伊東線「来宮」駅から徒歩10分の場所にあります。
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火山地帯の複雑な地層やそこに集まる多くの湧水が丹那盆地の暮らしを豊かにしておりましたが、トンネル掘削が始まれば恵まれた自然が人間に襲いかかってきます、最初に湧水に見舞われたのは坑口から335mの場所でした。
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1921年(大正10)には坑口から1363mまで掘り進めた時には土塊崩壊がおこり12名が死亡、難を逃れて崩壊個所の奥で閉じ込められた作業員17名の救出の為に救助坑を掘り8日後に救出、闇を裂く道ではその救出作業の詳細を3章にわたって入念に描き出しております。
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慰霊碑を見守るように鎮座する丹那神社に大きな石が祀られてます、これが崩壊事故の際に坑道奥に閉じ込められられた作業員の命を救った救命石。
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掘削土(ずりど)をトロッコに送るための漏斗(ろうと)に大きな石が詰まり、排除作業を行っていたことで崩落に巻き込まれずに済みました。
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これまで日本の鉄道トンネルの殆どが単線型でした、国はこれからの鉄道事情も考慮して複線型で掘削を計画した丹那トンネルですが、当時は無謀と言われており、坑道が広い分事故のリスクも高まり工事関係者は常に危険と背中合わせの日々だったのです。
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駅近くでトンネルを行き交う東海道線・新幹線を見守る函南側殉職者慰霊碑

鹿島組が請け負った三島口(函南側)にも慰霊碑があります、東海道線「函南」駅から徒歩5分程の場所にありますが、工事用の通路っぽい場所やチェーンが張ってあったりで中々難易度の高いアクセス。
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1923年9月1日午前11時58分に駿河湾南西部を震源とするM7.9の関東大震災が発生、東海道線の被害も甚大で東京~沼津間の鉄道は全滅し熱海は孤立無援の状態に、丹那トンネルの被害は微小でしたが、同じ時期に工事中だった「湯河原~熱海」の逢初山トンネルは崩壊。
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1924年(大正13)今度は三島口側で土塊の崩壊が発生し作業員16名が死亡、全員急激に上昇する湧水で絶命したと推定。1930年(昭和5)の北伊豆地震では断層のズレが生じこれによって3人が死亡。
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丹那盆地は水の集合地で地中の断層にしみ入っており、川のように流れている場所だったのです。トンネルから溢れ出る湧水の量は箱根の芦ノ湖の貯水量の3倍と言われ、本坑の工事を一旦中止して水抜坑を昼夜兼行で掘削、20m弱の断層突破に4年8ヶ月かかった箇所もありました。
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これによってトンネル上の丹那盆地は地下水が出なくなり、田は枯れてワサビ沢は消失してしまい周辺の農家は酪農に経営を転換、国はこの被害に対して当時としては相当額となる117万円を支払っております。

1933年(昭和8)6月にようやく坑道両口の切端の距離がわずか9mまで接近し、探りノミを入れて坑道がぴったり合うかどうかの作業を行いました。
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斎藤は、三島口の測量担当者の富田技手の姿を思いえがいた。富田は、探りノミが岩粉を散らして岩肌に突き入るのを身じろぎもせず見つめているにちがいない。
これまで二人は測量結果を互いにつき合わせ、それによって坑道は掘られてきている。もしも、食いちがいが生じれば、どちらかが、または二人とも計測をあやまったことになる。
斎藤は、不安におそわれながらも富田と自分の計算は絶対にまちがっていない、と自らに言いきかせていた。
有馬をはじめ技術者や坑夫たちは、身じろぎもせず切端を見つめている。水の流れる音が、静寂を深めていた。
探りノミの音が、徐々に大きくなってきた。それは、正しく前方からきこえてきているようだったが、急に横の方からきこえてくることもある。岩盤に走るおびただしい節理が音を屈折させているのだが、大きくはずれているような不安にも襲われた。
息苦しい時間が流れ、ノミの音がさらに近づいた。斎藤の眼が、或る個所にむけられたまま動かなくなった。それは中心線の少し左下方の岩盤で、かすかに動いたような気がしたのだ。錯覚か、と思った。が、その個所がにわかにふるえはじめ、盛り上がると、突然、細いノミの先端が突き出た。
斎藤の眼に、涙があふれた。ノミの光った先端が、岩粉を散らしながら生き物のように回転している。探りノミは、ほとんど誤差もなくこちら側の切端に突き出たのだ。
坑夫たちの間から、かすれた声があがった。それは、万歳という叫びだったが、鳴咽しているため、ただ息をはいているような声であった。かれらは、しきりに両手をあげている。
肩をたたかれた斎藤が顔をむけると、有馬が無言でうなずいている。有馬の頬にも涙が流れ、歯の間から嗚咽をこらえる息がもれていた。

(吉村昭著「闇を裂く道」より引用)

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1934年(昭和9)3月に鉄道省は工事完成を発表。その後レール敷設および電化工事が行われ、同年12月1日に開業することが決定。当初予定よりも9年遅れで当初予算の4倍近い工費がかかる建設史上未曾有の難工事でした。
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併走する東海道新幹線の新丹那トンネル

新丹那トンネル ~1964年(昭和39年)開通・総延長7959m~

熱海口丹那神社の先にあるのが東海道新幹線が併走する新丹那トンネルの入口、目の前には来宮変電所、闇を裂く道の最終章は新丹那トンネル工事についてのエピソードが綴られております。
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新幹線工事は新丹那トンネルの掘削から始められる事になり昭和34年4月20日熱海口で起工式が催されました。工事中丹那トンネルの斜め上を掘っていった新丹那トンネルから発生する湧水は連絡水抜坑から丹那トンネルの水抜坑に落とされ坑道に水が溜まる事はありませんでした。
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1964年(昭和39)10月1日に東海道新幹線が開業、闇を裂く道は以下の文で締めくくっております。

その日、午前六時、第一号列車の「ひかり」が東京駅を発車した。 アイボリーと青に塗りわけられた電車は西へと疾走し、新丹那トンネルに驚異的な速度ですべりこんでいった。

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日本の大動脈の重要地点に似合わずひっそりとした場所、但しそれ故に静かに行き交う列車を見守っている感があり、現在の利便さ安全さは昔の人々の尊い犠牲の上に成り立っているのだとつくづく感じます。

現在工事中のリニア中央新幹線の「南アルプストンネル」トンネルが完成して開通が実現すれば東西の新たな大動脈になります。しかし人口減少や経済が下向きな現在の時代背景、工事の難易度や残土処分の問題、リニアの電磁波の影響、そして何より自然環境を変えてしまう事、掘削技術は上がっても穴を掘る事には変わりありません、正直僕はリニア新幹線建設には疑問を持っている意見なのですが、建設には安全性やその後の環境の配慮に慎重に対応して欲しいものです。

リニア開通後でもこの場所は変わらず幹線として人や物を運び続けるでしょう、昔の人々がどんな事があっても通さなくてはならないという願いで掘ったトンネルは未来にも引き継がれると確信しております。
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