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峠のシェルパ「EF63形電気機関車」の保存車両は「碓氷峠鉄道文化むら」に計7両

EF63形電気機関車は、信越本線の横川~軽井沢(碓氷峠)の補助機関車として開発され1963年(昭和38)に営業運転を開始、急勾配を走る為の色々な装置を備える「峠のシェルパ」と呼ばれていた強力な機関車でしたが、1997年(平成9)長野新幹線(現在の北陸新幹線)が開業、これに伴って並行する在来線区間である信越本線の横川〜軽井沢は廃線となり全てのEF63は現役を引退。
他の路線に流用出来なかったのはその特殊な設計と用途にあり、他の路線では碓氷峠ほどの急勾配が存在しないため、EF63の特殊な機能が必要とされる場面が殆ど無い汎用性の低い車両でした、現在7両が横川運転区跡地の「碓氷峠鉄道文化むら」に保存されております。
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【静態保存】1号機・10号機・11号機・12号機・18号機
【動態保存】24号機・25号機

〈目次〉

66.7パーミルの急勾配を走る「峠のシェルパ」EF63

機関車庫跡地で静態保存してあるEF63・10号機、当時はこの場所から本線に入り横川駅で連結し2両ペアで重連運用されておりました。最急勾配66.7‰(パーミル)を克服する上で数々な装備を備えた、鉄道ファンの間で非常に人気があり、鉄道史においても重要な位置を占める機関車です。
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FF62形機関車や189系(特急あさま)や169系・489系電車と協調運転が可能、軽井沢側には多数の電気連結器(ジャンバー栓)を装備、66.7‰は国鉄(JR)で最も急な勾配で、横川側に連結されたEF63は下り列車(登坂)では下から押し上げ、上り列車(降坂)では下から支えておりました。
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峠を登るにあたっては空転防止のため、国鉄(JR)機関車の中では最大重量の108tで大きな粘着力を得ており、また重心が急勾配で横川側に片寄るため車体の軽井沢側に軸重調整荷重を設置、特殊な台車を用いて軸重移動という現象を防止しております。
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峠を降りるにあたっては暴走を防ぐため電圧が変化した場合でも常に一定の制動力が得られる発電ブレーキを採用、発熱した抵抗器の熱を外に逃がす独特のブロアー音はEF63最大の特長として知られ、更には非常用のブレーキとして強力な電磁石を台車に取り付けレールに吸着させる電磁吸着ブレーキを装備しておりました。
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1975年(昭和50)10月28日に軽井沢から横川へ峠を下る4両編成のEF63回送列車が第1隧道内で暴走しその後脱線して転覆、この事故で乗務員3名が重軽傷を負い4両のEF63が廃車、この事故をきっかけとして「過速度検知装置(OSR)」を搭載するための改造が各車両に実施されることになりました。
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12両編成の特急あさまを牽引するEF63の勇姿、大幹線ながらも特殊な急勾配区間を走る、世界でも類を見ない条件下での輸送を担う車両だったのです。
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当初はアプト式ラックレール(歯軌条)を使用した鉄道路線として開業した横川~軽井沢でしたが、高度経済成長期になるとこの区間が隘路となり輸送需要に応じられず、これまでの路線と平行する新線を建設して、粘着式(車輪踏面と軌条との間に生じる粘着力のみに依存する方式)で運行する事を決定します。
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EF63形は急勾配区間を粘着運転するために、当時の技術力を結集した碓氷峠専用の電気機関車として開発され、1962年(昭和37)に先行試作車の1号機が製造、1963年(昭和38)に碓氷新線が開通した後にアプト式の旧線は廃線となりました。
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EF63といえば青とクリーム色のツートンカラーが一般的ですが、現在1号機は製造当初の茶色の塗装に戻し「碓氷峠鉄道文化むら」の屋外で静態保存されております。
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横川~軽井沢の所要時間はアプト式時代の平均47分から平均18分と大幅に短縮され優等列車中心での輸送力増強が実現、EF63は1976年(昭和51)まで計25両製造されました。
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碓氷峠ここに鉄路あり

明治時代になり東西の両京を結ぶ幹線鉄道は、広大な内陸部を開発出来て支線を加える事により南北の両岸を結ぶこともできる中山道ルートが採用されましたが、工期と工費が当初の見込みを大幅に上回ることが建設中に判明、東西を結ぶ幹線は東海道本線の建設を行う方針に変更。
一方で本州を横断する上野から直江津間の鉄道建設が急がれましたが、そこに立ちふさがったのが群馬と長野の県境にある碓氷峠でした。  

路線内で標高差が553mある片勾配の碓氷峠だけが鉄道敷設ルートが決まらずに未着工、測量調査を重ねた末に中尾線を採用、そして急勾配を克服するため、当時ドイツの山岳鉄道で実用化されていたアプト式を用いることが決定。
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アプト式はレールの中央に設置されたラックレール(歯軌条)と車両の下に取り付けされた歯車を組み合わせて走行する方式です。
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1893年(明治26)アプト式鉄道路線として開通、当初は3900形式蒸気機関車が牽引しておりましたが、トンネル内の煤煙等の問題からこの区間は早々と電化され、1912年(明治45)にEC40形電機機関車が運転を開始、そしてアプト時代を代表する車両のED42形電機機関車が1934年(昭和9) から運転を開始します。
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EF63と共に鉄道文化むらで静態保存されているED42・1号機、パンタグラフ1基を搭載しておりますがアプト区間では第三軌条方式(走行用のレールとは別に給電用レールを敷設し車両に取り付けた集電靴が擦って集電する方式)での給電を行い、ED42を横川寄りに3両と軽井沢寄りに1両を連結する大編成、時速18km程度の速度で片道47分程かかって運行しておりました。
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横川~軽井沢牽引機関車の変遷
・1893年(明治26)横川~軽井沢開通
3900形式蒸気機関車で50tの客車を牽引〈所要時間76分・1日9回往復〉
・1912年(明治45)電気機関車運転開始
EC40形電気機関車(2両)で140tの客車を牽引〈所要時間49分・1日18回往復〉
・1934年(昭和9)ED42形電気機関車運転開始
ED42形電気機関車(4両)で350tの客車を牽引〈所要時間47分・1日25回~32回往復〉
・1968年(昭和43)EF63との協調運転開始
EF63(2両)とEC(12両)との協調運転〈所要時間18分・1日50回~60回往復〉

新幹線開通により碓氷線は廃止しかし鉄路は残る

1997年(平成9)10月1日に初めての整備新幹線として開業した長野新幹線、そして信越本線の「横川~軽井沢」という大幹線レベルの線区が廃線となるのはJR史上初めての事でした。
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1997年(平成9)年9月30日、19号機と3号機が牽引する普通列車が横川駅に21時35分に到着、これが最終列車となりその後軽井沢駅で保存される2号機を残し全てのEF63が回送列車として峠を下りて横川駅に戻り現役引退、ここに碓氷線104年の歴史に幕を閉じます。
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アプト式の旧線時代が70年で粘着の新線時代が34年、新線はアプト式時代の半分にも満たない年月で廃止されてしまいました、特殊な急勾配線区で経費・維持費が膨大にかかる線区だったとは言え、こんなにも早く終焉の時を迎えるとは新線開業当時に予測していた人はいなかったのではないでしょうか。
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現在24号機・25号機は動態保存されており、日本で唯一の本物の電気機関車運転体験が出来る車両として人気を博しております。

横川~軽井沢間は廃線となり現在は路線バスが運行しており、そしてEF63は廃車となりましたが碓氷峠は残り車両も健在、そして何より碓氷線の偉大な歴史の記憶も残っているのです。
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高度成長期での輸送力の増強、モータリゼーションの波、整備新幹線整備との関連など、この線区の歴史は国鉄の歴史そのものであり、一方で高度な技量や困難への挑戦、国鉄鉄道が輝いていた時代の象徴がEF63形機関車だったのではないでしょうか。
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碓氷峠鉄道文化むら
住所:群馬県安中市松井田町横川407-16
電話:027-380-4163
URL:https://www.usuitouge.com/bunkamura/
営業時間:9:00~17:00(3月~10月)・16:30(11月~2月)
休園日:毎週火曜日
入園料:700円(中学生以上)
駐車場:乗用車220台・バス12台完備(入園者は駐車料金無料)