職場でパレット積み作業の最中に足が痙攣してしまい、翌日から休みになった日雇いバイトの梅ちゃん(あだ名)、今頃布団の中で「こんな人生になるはずじゃなかった…」と大学生時代を懐かしんでいるかも知れません。
梅ちゃんは当時向ヶ丘遊園から本厚木の大学まで通っており、小田急線は殆どの駅で乗り降りした事があるのですが、本厚木駅の手前の厚木駅だけは降りた事が無いそうです。
海老名市にありながら隣市の名前を駅名にしている厚木駅、大学生時代に地理の教師になろうとしていた梅ちゃんにとってはインチキ駅に見えていたのでしょう。
〈目次〉
厚木駅が偽厚木となった歴史
JR相模線と小田急線が乗り入れしている割には急行は止まらず通過、そして本来の厚木市の中心駅である本厚木駅に対して「偽厚木」や「嘘厚木」と揶揄されている不憫な駅。海老名市のこの駅が厚木駅となったのは、現在の相鉄線の前身である神中(じんちゅう)鉄道の存在が大きく関わっております。(写真は小田急線厚木駅)
1926年(大正15)に二俣川駅~厚木駅を開業した神中鉄道線(現:相鉄線)は、同年に寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道(現:JR相模線)と接続しました。この当時の海老名は寒村で小田急線が未開業だったため、村長や相模鉄道・神中鐵道の重役が相談して、この駅を対岸にあり県央地域の中心地であった厚木町の名前にした説が有力です。(写真はJR相模線厚木駅)
当初は相模川を越えて現在の厚木市付近までの路線を計画していましたが、資金不足で相模川を越えることを断念して結果厚木駅が終点に、海老名駅からJR相模線に沿って敷設されている相鉄貨物線が神中鉄道線の名残りなのです。
1943年(昭和18)に相模鉄道が神中鉄道を吸収合併し、相模鉄道相模線・相模鉄道神中線となりますが、その後太平洋戦争で東海道本線が攻撃された際の迂回路線として相模線が国有化となり、現在の相模線はJRというややこしい歴史があります。
一方の小田急線は1927年(昭和2)に河原口駅として開業しますが、後に相模線側のゴタゴタに付き合うかの様に厚木駅に、相模川を渡った隣駅は相模厚木駅から本厚木駅に改称、梅ちゃんがこの時大学生だったら「けしからん!」と激怒する経緯であった事でしょう。
川を越えた本厚木駅が「本来の厚木」という由来があり偽厚木駅を利用する皆さんはどう思っているのでしょうか??
厚木駅の改称について海老名市は2009年に「本厚木ではなく偽厚木と説明しなければならないため駅名変更してほしい」という市民からの意見を元に駅改名のお願いをしましたが
・厚木の駅名が定着している事
・駅名変更に多額の費用がかかるため駅名変更の予定がない
と小田急・JR双方から変更の予定はないと回答されたそうです。
駅改札は共用でJR相模線利用時も小田急の改札を通った後にJRの改札を通る必要があります。
JR相模線のホームは2面1線に見えますが、向こう側(写真右)は2007年3月10日まで使われていた旧ホーム、現在は使用しておらず時間の止まった廃ホーム状態。
梅ちゃんも大学生時代で時間が止まったままなのかも知れません(´・ω・`)
偽厚木の駅前を散策
駅を降りて横断歩道の向こう側にあるのは喫茶店とビックな居酒屋、梅ちゃんも大学生時代にここで呑んでいればビックになれたかも知れません。
駅の横には不動産屋とダンス教室、梅ちゃんも大学生時代にここでダンスを習っていれば今頃EXILEのメンバーだったかも知れません。
Choo Choo TRAINでは梅ちゃんを先頭に一列に並んでグルグルと回って踊っていた事でしょう。
そしてセレブ感溢れるマンションに住んでいた事でしょう
相模線の踏切を渡りながら思うのは、梅ちゃんが厚木駅で途中下車しなかった事が残念でなりません。。
踏切を越えれば日雇い労働者丸出しの大衆食堂と焼肉屋が2軒連なっており現在の梅ちゃんクオリティ。
真ん中にある階段に興味を惹かれて登ってみました
なんか梅ちゃんが住んでそうな(多分)部屋みたい(´・ω・`)
向かい側にあるのは小田急厚木変電所
小田急線高架下にあるアートの題名は「成長する梅ちゃん」と勝手に命名しました
高架下を潜り抜ければ多摩プラーザならぬ海老名プラーザという名の団地ゾーン
ですがこの団地商店街はシャッター通り状態で、1軒だけ営業している店があまり需要の無い学生服店、もしかしたら商店街の店主さん達も梅ちゃんみたいに足が痙攣して店を休みにしているのかも知れません。
梅ちゃん「メルじゃなくてメグミルク」(ノД`)
ちなみにこちらも綾瀬市にある偽厚木