「オレは不満ばかりで虹を追いかけてばかりの奴」とクラス名簿(専門学校)の自己PR欄にカキコミしていた望君(本名)は高校中退→アメリカ留学→帰国後にデザインの専門学校入学と雨上がりの虹を追いかけまくりの青春時代でした。
そんな望君の自宅最寄り駅は下高井戸で、どうせ今でも親の脛をかじって家に居る筈、この電車に乗れば終点でバッタリと望君と再会するかも…と思って乗った路面電車の東急世田谷線です。
〈目次〉
東急世田谷線の歴史と車両
散策や観光目的で東急世田谷線を利用するのであれば、起点駅の三軒茶屋でキャロットタワー26階の展望室に立ち寄ってからの乗車をオススメします。
展望室は無料で世田谷線がトコトコと走る姿が真下に見えます
ちなみに遠くばかり見つめてばかりの望君は皆の前で「その虹が何だかオレには分かっている」と豪語しながら専門学校を卒業していきましたが
その後音楽専門学校のヴォーカル科に入学したみたいです(´・ω・`)
「オレは不満ばかり~」のフレーズも多分どこかの歌からパクって自分の台詞にしているのでしょう。
路面電車だった玉川電気鉄道(玉電)支線の下高井戸線として、1925年(大正14)に開業した歴史のある東急世田谷線、1938年(昭和13)に東京横浜電鉄に吸収合併、その後東京急行電鉄の路線となります。
かつて玉川線支線は砧線・溝ノ口線・天現寺橋線・中目黒線・下高井戸線(現在の東急世田谷線)の5路線がありました。
イラスト引用先:東急玉川線 - Wikipedia
本線は東急新玉川線の建設のため1969年(昭和44)に廃止、1977年(昭和52)年に玉川線とほぼ同じ経路の地下に新玉川線が開業、2000年(平成12)に新玉川線と田園都市線が統合され、新玉川線の区間は田園都市線の一部となり現在に至ります。
~軌道(路面電車)と鉄道の違い~
軌道とは道路上に敷設された線路を専用車両が走行するのに対して鉄道は道路への敷設は原則禁止、軌道は「軌道法」鉄道は「鉄道事業法」軌道に基づいて運営しております。
支線の中で唯一東急世田谷線(下高井戸線)が生き残った理由は専用軌道だった事が大きく、現在も鉄道とは違って軌道線を走る路面電車ですが、道路上を走行する併用軌道は無いので鉄道とあまり区別がつきません。
そんな線路の上を走る車両は東急電鉄300系の世田谷線の専用車両、2両編成でそれぞれ塗装が異なりカラフルなのが特長です。
東急世田谷線1日乗車券「世田谷線散策きっぷ(380円)」の購入方法と乗車方法
「世田谷線散策きっぷ」は当日に限り何回でも世田谷線各駅を乗り降りできるお得な1日乗車券
裏面は散策に便利な沿線案内になっています
料金は380円で販売している駅は起終点の三軒茶屋駅と下高井戸駅のみ(写真は三軒茶屋駅)
上記以外の世田谷線各駅から乗車して購入する場合は、普通運賃を現金でお支払いのうえ乗務員から「乗車券購入票」を受け取ってから発売駅で購入票を提示すると、差額で世田谷線散策きっぷを購入する事が出来ます(写真は宮の坂駅)。
通常料金は運賃先払いで大人160円の均一料金
~東急世田谷線の乗り方~
2両編成の1番前又は1番後ろのドアから乗車して、車内にある運賃箱にICカードをタッチするか現金で支払い(世田谷線散策きっぷなどの場合は乗務員にきっぷを提示)、途中駅での降車は中程2箇所のドアから降ります。
東急世田谷線の途中下車オススメ無料観光スポット
三軒茶屋駅と西太子堂駅を通り環七通り「若林交差点」で一時停止する世田谷線、通りを横切る踏切には遮断機は無く信号機によって交通を制御しております。
踏切の手前でクルマは一時停止する必要がありません、一方電車は赤信号の場合一時停止して青信号に変わってから出発進行、かつては遮断機のある一般的な踏切でしたが、環七通りの交通量増大で1966年(昭和41)に現在の形式に変更されました。
その後何度か立体交差の計画候補に挙げられているこの場所ですがいずれも頓挫しております(写真は若林駅)。
無料観光スポット松陰神社「松陰神社前駅」下車
電車は次の駅の「松陰神社前」長州藩出身で幕末の思想家・教育者の吉田松陰を祀る学問の神として崇敬を受ける「松陰神社」は駅から商店街を通って徒歩3分程度。
山口県の萩にあった松下村塾で幕末から明治期に活躍する長州藩出身の志士たちの指導にあたり、門下生から高杉晋作や伊藤博文などの志士を輩出した幕末の偉人である吉田松陰。
この場所に松陰神社がある理由はかつて長州藩主の別邸があり、吉田松陰が亡くなった4年後に門下生達によってこの地に改葬して明治時代に神社が創建された経緯があります。
社殿の横には松下村塾を模した建物、幕府は朝廷の勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し14代将軍を徳川家茂に決定、安政の大獄とはこれらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件で吉田松陰も死罪となり処刑されました。
無料観光スポット豪徳寺「宮の坂」下車
そんな安政の大獄を断行した時の大老井伊直弼の墓は東急世田谷線3つ先の駅「宮の坂」から4分程度の豪徳寺にあります。
1633年(寛永10) に世田谷が彦根藩の所領地となり、既にこの地にあった弘徳院を彦根藩主井伊家は豪徳寺と改称して江戸の菩薩寺と定めました。
鷹狩り帰りにこの寺を通りかかった2代藩主井伊直孝が、門前にいた猫に手招きされて立ち寄り寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました、雷雨を避けられた上に和尚との話も楽しめた殿様はその幸運にいたく感動したそうです。
豪徳寺の境内には四季折々の草木があり、梅・桜・牡丹・つつじ アジサイや晩秋の紅葉などが楽しめ、石門から山門に至る参道の松並木、さらに野鳥が飛び交う奥深い森林もまた見所です。
境内にある井伊家墓所の奥には彦根藩第16代藩主で幕末期に江戸幕府で大老を務めた井伊直弼の墓があります
日本の開国・近代化を断行し、強権をもって国内の反対勢力を粛清しましたが、それらの反動を受け江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼。
吉田松陰・井伊直弼共に国を想う気持ちは同じだった筈です、そんな2人が日本で落ちこぼれ形だけの留学をしてアメリカかぶれになって戻って来た望君を見たらどう思うのでしょうか??
宮の坂駅に戻り1969年(昭和44)まで渋谷~二子玉川・下高井戸を走り、その後江ノ電に譲渡されて主力電車として藤沢~鎌倉間で活躍した江ノ電601号の車内に入りました。
現在は望君もこの電車同様にひっそりとこの地で余生を送っている事でしょう。
松陰神社前と宮の坂の間には世田谷線の車両基地があり、車内からも見る事が出来ます
僕は上町駅で途中下車して車両基地を間近で見たのですが
コインパーキングに阻まれ何とも微妙な見学となってしまいました(´・ω・`)
東急世田谷線下高井戸駅前
世田谷線は終点の下高井戸駅に向かって走って行きます
残念ながら下高井戸駅で望君と再会する事は出来ませんでした
駅前の昭和な街並みが嫌になりアメリカに旅立った10代の頃の望君
この場所で両親の世話になりながら働いたら負けだと思っている50代の望君
駅前にあるのはカプセルトイ専門店「Hobby Box」
親ガチャには成功しましたが人生ガチャには失敗してしまった望君
今でも虹を追いかけているのでしょうか??
望君「こ…今度はイタリア留学」(ノД`)トホホ