だいだらボッチの激安おでかけバンザイ

都内近郊に(たまに遠出)出かけた時の戯言が多めで9割9分がひとり行動、そして無料・安い料金で楽しめるスポットに訪問しております。僕の記事を見て「行ってみたい」「以前行ったけどまた行きたくなった」と感じて頂けたらとても嬉しいです。


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稲村ヶ崎公園(と周辺)の観光撮影スポット5選

職場で周りと軋轢を生じ言い争いになってしまい、作業終了後にポツリと「暫くの間は職場に来ない…」と言って帰っていった日雇いバイトの週一君(仮名)。
そんな彼を見てケラケラ笑うタイゾー(あだ名)と、翌日皆に喜んで言いふらす梅ちゃん(あだ名)も同じく日雇いバイトで皆さん人生崖っぷち。。
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職場で勝ち馬に乗ったつもりで周りの人達の不幸や失敗をあざ笑っていると、いつかは自分にしっぺ返しが来て滅亡するのです。
そんな気持ちで訪れた先はこの場所を突破して鎌倉幕府に攻め入った古戦場の稲村ヶ崎でした。
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〈目次〉

撮影スポット①稲村ヶ崎公園展望広場

由比ヶ浜と七里ヶ浜の間にある稲村ヶ崎公園の正式名称は「鎌倉海浜公園」海岸線に点在する公園は由比ヶ浜地区・坂ノ下地区・稲村ヶ崎地区の3地区に分かれておりますが、眺望で有名な稲村ヶ崎地区の展望広場からの景色を思い浮かべる人は多い事でしょう。
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「関東の富士見百景」「かながわ景勝50選」に指定されており、江ノ島と富士山のコラボ、そして夕日の名所としても有名な場所。
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アクセスは江ノ島電鉄「稲村ケ崎駅」より徒歩5分、海岸道路(国道134号)の後ろに海が見える景色はとっても湘南クオリティ。
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左手(鎌倉側)に見えるのが稲村ヶ崎、逆光と怪しげな雲のおかげでトホホな写真になってしまいました。
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撮影スポット②極楽寺(石碑)

時間にゆとりがあれば拝観無料の極楽寺に立ち寄ってからの稲村ヶ崎訪問もオススメ、極楽寺駅から稲村ヶ崎公園までは徒歩12分程度。
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~極楽寺の撮影について~
自撮り棒や三脚・一脚の使用は禁止
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2代執権北条義時の3男北条重時(しげとき)が開基(寺の創立者)の寺で、開山(寺の創始者)は忍性(にんしょう)という名の、貧民や患者など社会的弱者の救済に尽力した鎌倉時代の高徳な僧侶。
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一方タイゾーと梅ちゃんは立場立場で強い者になびき弱い者を軽んじる低俗な愚民、怒って口答えする週一君を嘲笑って、周りに面白おかしく吹聴するのです。
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「見ざる言わざる聞かざる」嘲笑うタイゾーと吹聴する梅ちゃん、そして口答えする週一君の3人をお釈迦様は後ろで見ているのです。
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撮影スポット③成就院(石像)

成就院は極楽寺から徒歩3分程の場所にあり、極楽寺坂切り通し中程にある縁結びのパワースポットですが3人にはあまり関係の無いご利益、こちらも拝観無料です。
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ちなみにタイゾーは先日ブッダの本を読みブッタの心に触れ怒る事をやめたそうですが、他人をバカにする事はやめておりません。
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作業中に周りから「あんたバカじゃないの!」と罵られても、怒らず帰らず石像の如く佇む週一君こそが真の聖人なのです。
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撮影スポット④稲村ヶ崎公園古戦場伝説地

由比ヶ浜(鎌倉)方面からの稲村ヶ崎でここから西側(向こう側)の海岸は七里ヶ浜、現在は道路があり稲村ヶ崎だけが独立した山みたいになっておりますが、かつては北側の山と尾根続きで中世の頃は鎌倉の西の境界でした。
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1333年(元弘3)かねてから幕府に不満を持っていた上野国(群馬県太田)の御家人「新田義貞」は後醍醐天皇の倒幕の令旨により挙兵し、本拠地である鎌倉を目指し関東平野を南下して挙兵からわずか2週間で鎌倉を包囲、しかし三方を山に囲まれた鎌倉の守備は堅固で、化粧坂・極楽寺坂・巨副呂坂からの攻撃はいずれも幕府軍に撃退されてしまいます。
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太平記の稲村ヶ崎伝説によると、新田義貞がここで潮が引くのを念じ黄金の太刀を海に投じると、龍神がこれに応じ大きく潮が引き幕府の水軍は沖へと流され、義貞軍は干潟を渡り由比ヶ浜を経由して鎌倉へ進軍、追い詰められた鎌倉幕府当主の北条高時は東勝寺で親族や家来と共に自害して鎌倉幕府は滅亡しました。

最近の研究では新田義貞が稲村ヶ崎を突破した元弘3年5月21日の未明は干潮であったことが分かっているそうです。
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そして聖人の週一君も「旧約聖書」出エジプト記に登場する預言者モーセの如く、海を割って放浪の日雇い旅を続け約束の地を目指している事でしょう。
f:id:earth720105:20231011154806j:image画像引用先:十戒(1956) : 作品情報 - 映画.com

公園の入口左手にあるのは稲村ヶ崎古戦場跡の石碑「後方に投げ入れし剣の光あらはれて千尋の海もくがとなりぬる」と記されております。
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奥の石碑はボロボロで「梅ちゃんのお墓」と勝手に命名しました(>_<)
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撮影スポット⑤稲村ヶ崎公園ボート遭難の像

園内には1910年(明治43年)に起きた七里ガ浜沖ボート遭難事故を偲ぶ像が建っています
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「ボート遭難の碑」碑文
みぞれまじりの氷雨が降りしきるこの七里ヶ浜の沖合いでボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら12人が遭難転覆したのは1910年(明治43)1月23日の昼下がりのことでした
前途有望な少年達のこの悲劇的な最期は当時世間をさわがせました…が、その遺体が発見されるにおよんでさらに世の人々を感動させたのは彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした…
友は友をかばい合い兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです
死にのぞんでもなお友を愛しはらからをいつくしむその友愛と犠牲の精神は生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか

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「タイゾーの性感帯は乳首」と勝手に命名しました(ノД`)
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鎌倉海浜公園稲村ヶ崎地区
住所:神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎3丁目
電話:0467-45-2750
H.P.:http://kamakura-park.com/